善勝寺だより 第114号令和3年3月8日発行 |
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位牌は必要なものですか
お葬儀の後、「位牌は作らなくてはいけないですか」と尋ねられることが多くなりました。
理由を聞くと自分が死んだ後、守する者がいない、残された者が困るのではないか、置く場所に困る、仏壇も買わなくてはいけなくなる。など様々です。
どうしても必要なものなのか、なければなくてもいいものか、位牌は何のためにあるものなのか、そのあたりを知りたいようです。
位牌の起源は、中国にあります。
中国では、人が死ぬと「魂(こん)」(精神)「魄(はく)」(肉体)が分離し、魂(魂気)は天に帰り、魄(形魄)は地に帰ると考えられています。魂は雲のように漂うので依(よ)り代(しろ)となるのが位牌です。
魄はお骨となり、埋葬してお墓となります。
位牌には氏名、官位などを書いて祀りました。日本では鎌倉時代に禅僧によって伝えられたと言われています。
江戸時代には一般庶民にも広まっていきました。
中国では儒教や道教で故人(先祖)を尊び敬い、日本でも古来から先祖崇拝の心が篤く、仏教と直接関係がないのですが故人を位牌として祀ることが根付いていきました。
さてそこで、位牌は作らなくてはいけないのかと問われれば、あるに超したことはないのですが、位牌をご自宅にお祀りしないことを咎(とが)めるものではありません。
位牌の良いところは、故人と会話が出来ることです。「位牌となり会話が増えた女房かな」と言った川柳があったように記憶していますが、生きているうちはあまり会話しなかったが、故人となった奥さんの位牌には頻繁に話しかける、さみしくなったご主人の姿が目に浮かぶようです。
それぞれの事情にあった祀り方をして、話しかけてください、きっと心が落ち着き癒されることでしょう。
不思議なことに戒名の書かれたお位牌の前では、自然と手が合わされます。
故人様を迎えていただいた仏さまとのご縁もここから深まります。
編集後記
*『善勝寺だより』春彼岸号をお届け致します。
*今回同封しました「心の修行の1週間」のほか、円覚寺派管長横田南嶺老師が書かれました
「六はらみつの心」と青山俊董老師の「人生は幸せを求めての旅」を施本として用意しております。
ご来山の折ご自由にお 持ちいただきお読み下さい。
*墓参用の生花のことですが、寺での販売は8月13日施餓鬼会のみです。
隣のコンビニ「ローソン」では、常時販売しています。ご利用下さい。
*次回お盆号は、6月の下旬発行予定です。
施餓鬼会、お盆に関することは、次号『善勝寺だより』をお読み頂いた後に、お問い合わせ下さいますよう
お願い致します。
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