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善勝寺だより

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善勝寺だより 第122号

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令和5年3月10日発行
発行責任者 明見弘道
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善勝寺だより第122号

桃花笑春風
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人面(じんめん)は知らず何(いず)れの処にか去る、桃花(とうか)旧(ふる)きに依(よ)って
春風(しゆんぷう)に笑(え)む。

檀信徒の皆様方におかれましては、益々ご清祥のこととお察し申し上げます。
 さて、右の句は栃木県那須「雲巌寺」の本堂に掲げられている額に書かれてる言葉です。
 もとは唐代の崔護(さいご)という人の詩で、西安の郊外を散歩していて、のどが渇いたため、ある屋敷で水を求めた。すると花木の生い茂るその家の門に美しい娘が現れた。その時は水を所望して別れたが、1年後再び娘を思って家を訪れた。しかし門は閉ざされて誰もいなかった。そこで崔護はこの詩を門に書いて去った。

詩の意味は『去年の今日、この門の中であなたと出会った。折しも咲いていた桃の花とあなたと共に相映じて実に美しかった。しかしその人はどこに去っていったのか知るよしもない。ただ桃の花だけが以前と同じようにこの春風に咲いている』
 では、どうしてこの歌が禅寺の本堂に掲げてあるのでしょうか。
 中国唐代の禅僧「霊雲禅師(れいうんぜんじ)」は長年悟りを求めて行脚を続けていた。ある日のこと、桃の花が咲いているのを見てハッと悟りを開かれました。
 別れは悲しいものの、人は必ず死を迎える。別れなければならない。しかし大自然は変わることがない。また同じように花が咲き、鳥は鳴く。その咲く花に、鳴く鳥に、永遠に滅びることのない、大いなるいのちの輝きを感じ取ることができる。
 この命の輝きに目覚めることこそ、この世を生きてゆくまことの宝にほかならない。霊雲禅師が桃の花を見て気がつかれたのも、そのことでした。

「人生を照らす禅の言葉」Image122
(円覚寺派横田南嶺管長著)
を参照抜粋させて頂きました。

善勝寺の境内は梅が満開です、
お彼岸の頃には桜も開花していることでしょう。     弘道

 

『ご案内』

春季彼岸会

 

下記の如く、彼岸法要を厳修致します。
 檀信徒の皆様、多数ご参拝下さいますよう謹んでご案内申し上げます。

      
    3月21日(火曜日)Image
    午後2時より

       彼岸法要
    法要終了後
       住職による法話
    3時頃終了予定。


彼岸供養料、または塔婆料(供養料と併せて1基6,000円)は、本堂前机のお盆にお供え下さい。
また袋には必ず施主のお名前をご記入下さいませ。受付は出しません。
 彼岸の塔婆は、電話かFAXまたはメールでお早めに申し込み下さい。temple@zensyoji.or.jp
 その時、施主名のほか、戒名、お参り予定日もご記入願います。

 

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