善勝寺だより 第35号 平成13年6月27日発行 発行責任者 明 見 弘 道 |
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暑中お見舞い申し上げます。
檀信徒の皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
今年度、花園会の研修テーマは『合掌』です。皆さんは日頃どんなときに合掌なさっていますでしょうか。仏様の前で、食事の時に、など日々合掌されていることと存じますが、昔から比べると合掌する回数は少なくなっているように思いますし、若い人にはさらに少なくなっています。この合掌の姿には、信じ合う・支え合う・拝み合う心が宿っています。始めは意識的にでも合掌する回数を増やし、だんだんと自然に、習慣的になれば、姿だけでなく合掌の心が身に付き、周りにもその心が浸透するものと存じます。
私は20代の時、インドに2回行き一年間ほど滞在しましたが、挨拶はすべて「ナマステ」(南無)といって合掌します。背筋を伸ばし、合掌して相手の目を見てナマステと言うと知らない人でも、必ず合掌してナマステと言ってくれます。
インド滞在中見た映画のなかで、『サッチャム・シバム・スンダルム』(真善美)というタイトルの映画は好きで何度か観ました。特に最初のシーンは、サドゥー(行者)が吊り橋を渡るとき無事に渡れますようにと、道の脇の石に手を合わせます。すると次々に皆も手を合わせて、また花を供えて渡るようになり、そのナレーションで、「たんなる石であったが、これはもうバグワン(神)である」といった内容で、 今でもよく記憶しております。
相手は石、寺の本尊も単なる木、といえばそのとおりです。
石や木の方に神や仏があるのではないのです。人がそれを拝むときその人の心にそこに神仏が宿るのです。ここをはっきり認識しないと、偶像崇拝に陥ったり、霊感商法の壺や掛け軸を買わされる羽目になります。
これから迎えるお盆にも、家族そろって、仏様に、ご先祖様に『合掌』なさっていただきたいものです。
『親が拝めば子も拝む、拝む姿の美しさ』
さて、別紙ご案内を同封いたしましたが、施餓鬼法要は例年の通り、8月13日に行います。(今年は月曜日です)、暑い中、また遠路恐縮に存じますが、一家に一人は是非お参り下さいますようご案内申し上げます。
当日は込み合います。普段着で涼しい格好でおいで下さいませ。
また、塔婆のお申し込みは、同封のはがきにてお早めにお願いします。
お盆の棚経も昨年同様、初盆(新盆)をお迎えのお宅を優先し、ご希望の方のみお参りいたします。別紙案内の要領で期日までにお申し込み下さい。
最後になりましたが、時節柄檀信徒の皆様におかれましては益々ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
明 見 弘 道 合 掌
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