善勝寺だより 第114号
令和3年3月8日発行
発行責任者 明見弘道
令和3年3月8日発行
発行責任者 明見弘道
春水(しゅんすい)四澤(したく)に満(み)つ
ほっとする禅語(二玄社)より
「春になって、雪解け水が沢を満たしていく。
山を閉ざしていた張本人は雪なのにその雪が、冬を終えたとたん今度は木々に大地に潤いをもたらし、歌の聞こえる春の仕掛け人となる。自然はこんなにあっさり、大胆に変化します。
冬は雪の姿、春は水となって、季節ごとの姿に執着なく地上に恵をもたらします。
まるで、厳格な当主からやさしい隠居となり、孫と遊ぶ好々爺のようです。当主は一家を養う責任を一身に引き受け、収入の途切れることを許されず、世に敵の多いのを承知して子供たちに生業を教える。厳しくなるのはあたりまえです。当主の愛情は冬の雪のよう。そうして子供が修行を終えた頃、当主は世代交代の時期を悟ります。
今度は隠居になった身で、なりたての未熟な当主を支えるべく微笑みをたたえて、孫達と戯れて雪解け水のように一家を優しさで潤していくのです。
檀信徒の皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうか。
まさかこんなにも長くコロナ禍が続くとは、想像だにしていませんでした。
3月7日には緊急事態宣言が解除になると思いきや、さらに二週間延長です。
まあ、中途半端になって第四波が来て収拾がつかなくなるよりはいいのでしょうが……。
このような状況で、お寺にお詣りすることを控えておられる方もおありのことと思い、今回は全員の方に施本を同封することと致しました。
お彼岸のしおり「心の修行1週間」です。六波羅蜜(ろくはらみつ)を易しく解説してあります。お彼岸にお読み頂き、彼岸中少しでも実践して頂けたら、有り難いです。
重々しいどんよりとした気持ちが少しでも明るくなってくださればと願っています
冬は雪の姿、春は水となって、季節ごとの姿に執着なく地上に恵をもたらします。
まるで、厳格な当主からやさしい隠居となり、孫と遊ぶ好々爺のようです。当主は一家を養う責任を一身に引き受け、収入の途切れることを許されず、世に敵の多いのを承知して子供たちに生業を教える。厳しくなるのはあたりまえです。当主の愛情は冬の雪のよう。そうして子供が修行を終えた頃、当主は世代交代の時期を悟ります。
今度は隠居になった身で、なりたての未熟な当主を支えるべく微笑みをたたえて、孫達と戯れて雪解け水のように一家を優しさで潤していくのです。
檀信徒の皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうか。
まさかこんなにも長くコロナ禍が続くとは、想像だにしていませんでした。
3月7日には緊急事態宣言が解除になると思いきや、さらに二週間延長です。
まあ、中途半端になって第四波が来て収拾がつかなくなるよりはいいのでしょうが……。
このような状況で、お寺にお詣りすることを控えておられる方もおありのことと思い、今回は全員の方に施本を同封することと致しました。
お彼岸のしおり「心の修行1週間」です。六波羅蜜(ろくはらみつ)を易しく解説してあります。お彼岸にお読み頂き、彼岸中少しでも実践して頂けたら、有り難いです。
重々しいどんよりとした気持ちが少しでも明るくなってくださればと願っています
ご案内
春季彼岸会
下記の如く、彼岸法要を厳修致します。
檀信徒の皆様、多数ご参拝下さいますよう謹んでご案内申し上げます。
檀信徒の皆様、多数ご参拝下さいますよう謹んでご案内申し上げます。
記
3月20日(土曜日)
午後2時より彼岸法要
法要終了後 住職による法話
3時頃終了予定。
午後2時より彼岸法要
法要終了後 住職による法話
3時頃終了予定。
彼岸供養料、または塔婆料(供養料と併せて1基6,000円)は、本堂前机のお盆にお供え下さい。また袋には必ず施主のお名前をご記入下さいませ。受付は出しません。
彼岸の塔婆は、電話かFAXまたはメールでお早めに申し込み下さい。(temple@zensyoji.or.jp)
その時、施主名のほか、戒名、お参り予定日もご記入願います。
尚、お参りの方は、マスクを着用して本堂にお入りくださいますようお願いいたします。
東光山ミニ法話
『菩提和讃』その5
妙心寺派布教師会現代語訳
尚(とうと)ぶらくは人(にん)間(げん)の
受(う)くる形(かたち)はそのままに
仏(ほとけ)の姿(すがた)にかわらねば
本来(もと)より具(そな)えし霊(れい)明(みよう)の
一(いち)仏心(ぶつしん)に覚(めざ)むとき
この身(み)すなわち仏(ほとけ)にて
仏(ほとけ)が仏(ほとけ)を念(ねん)ずれば
一(ひと)声(こえ)唱(とな)うる称(しよう)名(みよう)も
諸(しよ)仏(ぶつ)の浄(じよう)土(ど)に通(つう)徹(てつ)す
日日(にちにち)仏(ほとけ)に近(ちか)づきて
礼(らい)拝(はい)供(く)養(よう)も懇(ねんご)ろに
香(こう)花(ばな)灯燭(ともしび)とりささげ
粥(しゆく)飯(はん)茶(さ)菓(か)等(とう)供(そな)えつつ
身(しん)口(く)意(い)三輪(さんりん)淨(きよ)らかに
称(しよう)名(みよう)念(ねん)仏(ぶつ)経(きよう)陀(だ)羅(ら)尼(に)
座(ざ)禅(ぜん)観(かん)法(ほう)修(しゆう)すれば
浄(じよう)土(ど)はもとよりわが身(み)にて
心(こころ)が即(すなわ)ち仏(ほとけ)なり
つらつらこの身(み)を観(かん)ずるに
生(しよう)生(じよう)世(せ)世(ぜ)の父母(ちちはは)や
一(いつ)切(さい)衆(しゆ)生(じよう)にいたるまで
その恩(おん)愛(ない)の深(ふか)きこと
天(てん)の極(きわま)り無(な)きごとし
されば誓(せい)願(がん)たてまつり
無(む)明(みよう)の眠(ねむ)りを覚(さま)しつつ
行(ぎよう)住(じゆう)坐(ざ)臥(が)に怠(おこた)らず
一(いつ)心(しん)勇(ゆ)猛(みよう)に修(しゆ)行(ぎよう)して
無(む)辺(へん)の衆(しゆ)生(じよう)を慈(いつく)しみ
菩(ぼ)提(だい)の道(みち)に趣(おもむ)かせ
本(ほん)有(ぬ)の仏(ぶつ)性(しよう)発(ほつ)露(ろ)して
不報(ふほう)の恩(おん)を報(ほう)ぜんと
般(はん)若(にや)の船(ふね)に棹(さお)さして
涅(ね)槃(はん)の岸(きし)に到(いた)るべし
受(う)くる形(かたち)はそのままに
仏(ほとけ)の姿(すがた)にかわらねば
本来(もと)より具(そな)えし霊(れい)明(みよう)の
一(いち)仏心(ぶつしん)に覚(めざ)むとき
この身(み)すなわち仏(ほとけ)にて
仏(ほとけ)が仏(ほとけ)を念(ねん)ずれば
一(ひと)声(こえ)唱(とな)うる称(しよう)名(みよう)も
諸(しよ)仏(ぶつ)の浄(じよう)土(ど)に通(つう)徹(てつ)す
日日(にちにち)仏(ほとけ)に近(ちか)づきて
礼(らい)拝(はい)供(く)養(よう)も懇(ねんご)ろに
香(こう)花(ばな)灯燭(ともしび)とりささげ
粥(しゆく)飯(はん)茶(さ)菓(か)等(とう)供(そな)えつつ
身(しん)口(く)意(い)三輪(さんりん)淨(きよ)らかに
称(しよう)名(みよう)念(ねん)仏(ぶつ)経(きよう)陀(だ)羅(ら)尼(に)
座(ざ)禅(ぜん)観(かん)法(ほう)修(しゆう)すれば
浄(じよう)土(ど)はもとよりわが身(み)にて
心(こころ)が即(すなわ)ち仏(ほとけ)なり
つらつらこの身(み)を観(かん)ずるに
生(しよう)生(じよう)世(せ)世(ぜ)の父母(ちちはは)や
一(いつ)切(さい)衆(しゆ)生(じよう)にいたるまで
その恩(おん)愛(ない)の深(ふか)きこと
天(てん)の極(きわま)り無(な)きごとし
されば誓(せい)願(がん)たてまつり
無(む)明(みよう)の眠(ねむ)りを覚(さま)しつつ
行(ぎよう)住(じゆう)坐(ざ)臥(が)に怠(おこた)らず
一(いつ)心(しん)勇(ゆ)猛(みよう)に修(しゆ)行(ぎよう)して
無(む)辺(へん)の衆(しゆ)生(じよう)を慈(いつく)しみ
菩(ぼ)提(だい)の道(みち)に趣(おもむ)かせ
本(ほん)有(ぬ)の仏(ぶつ)性(しよう)発(ほつ)露(ろ)して
不報(ふほう)の恩(おん)を報(ほう)ぜんと
般(はん)若(にや)の船(ふね)に棹(さお)さして
涅(ね)槃(はん)の岸(きし)に到(いた)るべし
現代語訳 妙心寺派布教師会
この先も行きながらにして「ほとけ」にならねばなりません。
生まれながらにしていただいた「ほとけ」の心に気づかされれば、そのまま私が「ほとけ」でした。
「ほとけ」や幸せが別にあったわけではなかったと、気づいたこの場が幸せの場です。
「ほとけ」が「ほとけ」になるための生活こそが供養です。
そういう毎日を送る中で自我にふりまわされないように、諸々の仏道を行じていれば求める幸せは却下にあって、私がそのまま「ほとけ」でした。
つくづく自分を振り返ってみれば、先祖や両親やまわりの人たちいっさいが言い尽くせないおがげさま、ご恩の深さは無限大です。
ならば日々の生活に誓いを立て、心を「ほとけ」とひとつにし、生活の当たり前を当たり前に努めましょう。
限りない人々に手を差し伸べて、ともに仏道を歩みましょう。
「ほとけ」の智慧の働きでもって、本当の幸せに向かって精進致しましょう。
生まれながらにしていただいた「ほとけ」の心に気づかされれば、そのまま私が「ほとけ」でした。
「ほとけ」や幸せが別にあったわけではなかったと、気づいたこの場が幸せの場です。
「ほとけ」が「ほとけ」になるための生活こそが供養です。
そういう毎日を送る中で自我にふりまわされないように、諸々の仏道を行じていれば求める幸せは却下にあって、私がそのまま「ほとけ」でした。
つくづく自分を振り返ってみれば、先祖や両親やまわりの人たちいっさいが言い尽くせないおがげさま、ご恩の深さは無限大です。
ならば日々の生活に誓いを立て、心を「ほとけ」とひとつにし、生活の当たり前を当たり前に努めましょう。
限りない人々に手を差し伸べて、ともに仏道を歩みましょう。
「ほとけ」の智慧の働きでもって、本当の幸せに向かって精進致しましょう。
(完)
善勝寺墓地使用規則と永代供養墓「合同船」納骨規定が一部変更になりました。
2月1日の臨時責任役員会に於いて「墓地永代使用料の中に祠堂永代供養料(入檀金)が含まれる」こととなりました。従いまして、「定め」の墓地永代使用料の金額も入檀金を加えた金額に変更致しました。
また、永代供養墓「合同船」の納骨料も、これまで1人30万円、2人で50万円でしたが、1人につき20万円と改めました。
善勝寺墓地内より「合同船」に改葬する場合は、10万円となります。
また、永代供養墓「合同船」の納骨料も、これまで1人30万円、2人で50万円でしたが、1人につき20万円と改めました。
善勝寺墓地内より「合同船」に改葬する場合は、10万円となります。
護持費納入のお礼とお願い
令和3年度分護持費の納入をお願い致しましたところ、早速大多数の方にお納め頂きました。お礼申し上げます。
尚、当寺に墓地、(合同墓地を除く)を取得されておられる檀徒の方、また、本堂内にご遺骨を預けておられる方で、護持費がまだ未納の方は3月末日までには必ず納入下さいますようお願いいたします。
納入義務のある方で未納がある場合は、6月頃督促状を郵送する予定です。
また、過年度の護持費が未納の方は、過年度分と合計した金額を納入して頂きますようお願い申し上げます。
当寺よりの領収書は発行致していません、お振り込み頂いた時の受領書をもって領収書に替えさせていただきます。保管下さいますようお願いします。
コンビニでの納入は、3月31日までしか通用しません。
4月1日以降は、郵便局での納入となります。
今年は、コンビニと郵便局どちらでも通用する用紙にしましたが、郵便局からの振り込みが意外に多くありました。会計処理の面ではコンビニだけの方が楽ではあります。今後はできるだけコンビニからにして下されば有り難いのですが……。
尚、当寺に墓地、(合同墓地を除く)を取得されておられる檀徒の方、また、本堂内にご遺骨を預けておられる方で、護持費がまだ未納の方は3月末日までには必ず納入下さいますようお願いいたします。
納入義務のある方で未納がある場合は、6月頃督促状を郵送する予定です。
また、過年度の護持費が未納の方は、過年度分と合計した金額を納入して頂きますようお願い申し上げます。
当寺よりの領収書は発行致していません、お振り込み頂いた時の受領書をもって領収書に替えさせていただきます。保管下さいますようお願いします。
コンビニでの納入は、3月31日までしか通用しません。
4月1日以降は、郵便局での納入となります。
今年は、コンビニと郵便局どちらでも通用する用紙にしましたが、郵便局からの振り込みが意外に多くありました。会計処理の面ではコンビニだけの方が楽ではあります。今後はできるだけコンビニからにして下されば有り難いのですが……。
よくある質問のコーナー
位牌は必要なものですか
お葬儀の後、「位牌は作らなくてはいけないですか」と尋ねられることが多くなりました。
理由を聞くと自分が死んだ後、守する者がいない、残された者が困るのではないか、置く場所に困る、仏壇も買わなくてはいけなくなる。など様々です。
どうしても必要なものなのか、なければなくてもいいものか、位牌は何のためにあるものなのか、そのあたりを知りたいようです。
位牌の起源は、中国にあります。
中国では、人が死ぬと「魂(こん)」(精神)「魄(はく)」(肉体)が分離し、魂(魂気)は天に帰り、魄(形魄)は地に帰ると考えられています。魂は雲のように漂うので依(よ)り代(しろ)となるのが位牌です。
魄はお骨となり、埋葬してお墓となります。
位牌には氏名、官位などを書いて祀りました。日本では鎌倉時代に禅僧によって伝えられたと言われています。
江戸時代には一般庶民にも広まっていきました。
中国では儒教や道教で故人(先祖)を尊び敬い、日本でも古来から先祖崇拝の心が篤く、仏教と直接関係がないのですが故人を位牌として祀ることが根付いていきました。
さてそこで、位牌は作らなくてはいけないのかと問われれば、あるに超したことはないのですが、位牌をご自宅にお祀りしないことを咎(とが)めるものではありません。
位牌の良いところは、故人と会話が出来ることです。「位牌となり会話が増えた女房かな」と言った川柳があったように記憶していますが、生きているうちはあまり会話しなかったが、故人となった奥さんの位牌には頻繁に話しかける、さみしくなったご主人の姿が目に浮かぶようです。
それぞれの事情にあった祀り方をして、話しかけてください、きっと心が落ち着き癒されることでしょう。
不思議なことに戒名の書かれたお位牌の前では、自然と手が合わされます。
故人様を迎えていただいた仏さまとのご縁もここから深まります。
理由を聞くと自分が死んだ後、守する者がいない、残された者が困るのではないか、置く場所に困る、仏壇も買わなくてはいけなくなる。など様々です。
どうしても必要なものなのか、なければなくてもいいものか、位牌は何のためにあるものなのか、そのあたりを知りたいようです。
位牌の起源は、中国にあります。
中国では、人が死ぬと「魂(こん)」(精神)「魄(はく)」(肉体)が分離し、魂(魂気)は天に帰り、魄(形魄)は地に帰ると考えられています。魂は雲のように漂うので依(よ)り代(しろ)となるのが位牌です。
魄はお骨となり、埋葬してお墓となります。
位牌には氏名、官位などを書いて祀りました。日本では鎌倉時代に禅僧によって伝えられたと言われています。
江戸時代には一般庶民にも広まっていきました。
中国では儒教や道教で故人(先祖)を尊び敬い、日本でも古来から先祖崇拝の心が篤く、仏教と直接関係がないのですが故人を位牌として祀ることが根付いていきました。
さてそこで、位牌は作らなくてはいけないのかと問われれば、あるに超したことはないのですが、位牌をご自宅にお祀りしないことを咎(とが)めるものではありません。
位牌の良いところは、故人と会話が出来ることです。「位牌となり会話が増えた女房かな」と言った川柳があったように記憶していますが、生きているうちはあまり会話しなかったが、故人となった奥さんの位牌には頻繁に話しかける、さみしくなったご主人の姿が目に浮かぶようです。
それぞれの事情にあった祀り方をして、話しかけてください、きっと心が落ち着き癒されることでしょう。
不思議なことに戒名の書かれたお位牌の前では、自然と手が合わされます。
故人様を迎えていただいた仏さまとのご縁もここから深まります。
編集後記
- 『善勝寺だより』春彼岸号をお届け致します。
- 今回同封しました「心の修行の1週間」のほか、円覚寺派管長横田南嶺老師が書かれました
「六はらみつの心」と青山俊董老師の「人生は幸せを求めての旅」を施本として用意しております。
ご来山の折ご自由にお 持ちいただきお読み下さい。 - 墓参用の生花のことですが、寺での販売は8月13日施餓鬼会のみです。
隣のコンビニ「ローソン」では、常時販売しています。ご利用下さい。 - 次回お盆号は、6月の下旬発行予定です。
施餓鬼会、お盆に関することは、次号『善勝寺だより』をお読み頂いた後に、お問い合わせ下さいますようお願い致します。
弘道