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【国際ジャーナル】大石吾朗さんとの対談記事

2004年1月号の【国際ジャーナル】特別企画「社寺聴聞」に俳優の大石吾朗さんとの対談記事が掲載されました。

毎年、施餓鬼会の供養料を対人地雷撤去などのために寄付

【大石】
門を入ってびっくりしたのですが、とても美しいお寺ですね。

【明見】
ありがとうございます。寺においでいただいた方からそういって頂くことが、何よりもうれしいです。

【大石】
善勝寺さんでは国内外を問わず災害などで苦しむ人たちを支援されているそうですね。

【明見】
いえいえ、そういった大それたことではありません。ただ毎年お盆に行っている施餓鬼会と言う行事があるのですが、そのときのお布施から当日の経費を除いた額は毎年どこかに寄付してるということです。

【大石】
主な寄付先と言いますと?

【明見】
阪神大震災とかチェルノブイリ原発事故の時は僧侶の方でボランティアとして現地に赴いて救援活動されている方へ送りましたが、他はその年その年の災害義捐金として赤十字社へ。毎年一貫しているのは、「ユニセフ」と「難民を助ける会」に対してその活動の一助となればと思い送金しています。特に「難民を助ける会」へは、カンボジア・アフガニスタン・イラクなどの対人地雷の撤去のためと、マラリア予防のため蚊帳を寄付しています。施餓鬼会は年に1日ではありますが、多くの方々の思いがこもっています。「貧者の一灯」という言葉があるよう、一度に多くのことはできないにしろ誠意を持って続けることに価値があると考えますので、私が住職している限り毎年続けたいと思っています。

【大石】
素晴らしい!わかっていてもそれを行動に移すことはなかなかできませんからね。是非続けて頂きたいと思います。他の多くの寺院にもこのような活動が広まると良いですね。では、そんな住職のこれまでの歩みをお聞かせください。広島の生まれと伺っていますが。

【明見】
ええ、ここと同じ臨済宗の寺の子として生まれたのですが、父親が明治32年生まれのもので、「かわいい子には旅をさせよと言う言葉がある、父ちゃんは七つの年から親元を離れて小僧に行った」という言葉をいつも聞かせられて育ちました。母はせめて中学を卒業してからと言ったのですが、父はその中学3年間が大事だと言って小学校を卒業してすぐに岐阜の寺に行くよう勧めました。私自身はそんなに辛いと思ったことはないのですが、父の葬式の時、近所の和尚さんから、「あんたはお母さんの片目をもらって修行させてもらった」と言われ、その時初めて私のことを心配する余り眠れない日が続き、母の片方の目はほとんど見えなくなったのだと知り驚きました。今から思うと我が子を送り出す方とそれを受ける方、互いに大変なことで、愛情と信頼関係がないと成り立たないことです。本当に有り難いことだと感謝しています。もう此の世には誰もいませんが・・・・。

【大石】
住職のお年でそういう経験があるとは思いませんでした。

【明見】
今頃になって雛僧教育の大切さが本山で言われていますが、中学高校の6年間で覚えたことはずっと身に付いています。このころの経験が基盤となって今の生活があると思っています。

【大石】
インドで修行されたと伺っていますが。

【明見】
修行と言うようなものではないのですが、大学4年生の時、1人で放浪の旅をしました。魅力にとりつかれ半年以上滞在し、それまでの価値観が一変するようなこれまた良い経験をしました。その後、埼玉県新座市の平林寺で雲水として禅の修行をしたのですが、どうしてもインドのことが頭から離れず、雲水の格好で国内を行脚し、そのまま再びインドに行きました。まあ、いろいろ回り道はしましたが様々な出来事経験が私の人生の肥やしになっているわけで、無駄なことは無かったと思っています。

【大石】
その後、どのようなきっかけでこちらの寺に入られたのか教えてください。

【明見】
隣町の騎西に保寧寺というお寺があり、そこの和尚と東京でたまたま出会ったのが縁でして、いきなり「わしの弟子になれ」というのです。禅僧としては立派な方ですが、世間から見れば奇人変人の部類でして、岐阜の師匠とはタイプの違うのですがどこか惹かれるところがありました。何度か寺におじゃましているうち、その和尚が兼務していた善勝寺にはいることになったのです。まあ保寧寺和尚の策略に引っかかったようなものです。ここは数年前まで村でして、北埼玉郡川里村境という住所です。寺の等地はというと妙心寺派の規定で最下位の八等地三級となっていました。大学時代の友人や修行の仲間は、もっといい寺がいくらでもあるのにと心配してくれました。住所と等地から受けるイメージで、山奥の村はずれにある古いお堂ぐらいに思っていたようです。事実、師匠はこのまま兼務が続けば、古いお墓と傾いたお堂だけが残ることになると思っていたようです。「青空寺院だけにはしたくなかった」と何度も口にしていました。ともかくすべては縁でして、住職として入寺した以上、「肩あって着ずということなく、口あって食らわずということなし」というお経もあり、なるようになると自分にも言い聞かせ、結果はどうあれ、やるべきことはやらねばという覚悟でした。

【大石】
具体的に言いますと?

【明見】
これまでこの寺を支えて下さった檀家さんにだけに頼るのではなく、ご縁のある方どなたでも檀信徒として加わっていただけるようにしました。また寺と檀信徒の絆を保つために年4回ですが寺報「善勝寺だより」発行しています。家内が書くイラストや4コマ漫画が好評でして楽しみにしていますと言う方が多くあり、この秋で44号となりました。また最近ではインターネットに当寺のホームページも開設しまして、かなり反響があります。話しは戻りますが、入寺間もなく東京にいたときの縁者10人以上が「墓地があるなら檀家になる」といって加わってくれました。その後も縁が縁を呼ぶかたちで入檀者が増え、今では墓地だけ確保している方も加えれば当時の5倍の400軒程になり、お陰で寺も整備できつつあります。
檀家さんも「来る度ごとに良くなっている」と喜んで下さっています。中には、お寺がきれいになったので親戚にも見てもらいたくなって先祖の法事をしましたという檀家さんもありました。また、今年の施餓鬼会には700名を超える参拝者があり、駐車場の確保や、テントの設営やらでてんてこ舞いですが、住職としては嬉しい限りです。

【大石】
檀家さんと良い関係を築いておられるようですね。

【明見】
ええ、この近所の方々は素朴で裏腹のないいい人ばかりです。お米や野菜には不自由することなく、うどんを打ったと言っては持ってきてくれます。今年は自然発生的に青壮年部も結成され境内の除草や殺虫剤の散布、行事のおり駐車場係りをかってでてくれたり本当に感謝しています。役員会も積極的かつ円満というのも有り難いことです。

【大石】
次に、寺院の運営に心がけておられることはございますか。

【明見】
まず、お寺といえども今は選ばれる時代です。住職が檀徒に対して尊大な態度で接することは慎まなくてはいけないと思っています。もう一つ、お寺は法人です。すべての収入はお寺への収入であり、住職個人のものではないということです。会計は明朗にして予算・決算ともすべて公表しています。法要のお布施や塔婆代がどのように使われているかを知ることは檀信徒の当然の権利です。出納帳は几帳面につけています。

【大石】
最後に目標をお伺いします。

【明見】
これまで通り檀信徒の皆さんとの信頼関係を保ち、1日1日を大切に継続していきたいと思います。そして、この寺をスムーズに次世代へ継承できたらいいですね。夢は隠居生活です。
(取材/平成15年10月)
広島県出身(1953年生まれ)寺の子供として生まれ、中学・高校は岐阜の寺での小僧修行。京都花園大学在学中は青春を謳歌すると共にインドで放浪の旅を経験。埼玉県新座市平林寺にて雲水として禅の修行をしたのち、再度渡印。帰国後霊山観音東京赤坂別院初代住職。同池上徳持寺住職を歴任。1992年善勝寺住職に就任し現在に至る。北関東教区人権擁護推進委員・日本尺八連盟師範・揚名時太極拳指導員。

寺と檀信徒が理想とする寺院運営を実践

大石 吾朗(俳優)

明見和尚が「善勝寺 」の住職に就任するに当たって、寺側から寄付の要求をすることだけはしないと決めていたという。寄付というのは自らの意志で喜んでするのが本当で、寺側から割り当てのようなことをすれば、反対運動が起こっりたり、「また寄付をとられた」という言葉が聞こえるのも当然で、一人でも檀信徒の心が離れるようなら寄付は要求しないのが良い、というのが信念であったという。しかし、明見住職の代だけでなく、将来にわたって檀信徒に対して寄付の要求はしないということを決めるとなれば大変をことで、役員会で何度も真剣に話し合った上で決議したとのこと。結果は寄付のない寺ということで檀家も増えているが、自らの意志で寄付する方はかなりあるという。「観音堂を再建したときも、寄付させて戴き親孝行ができた、という方もあり、頭の下がる思いです。本当に尊いことです」と住職は語る。しかし、寄付者名を本堂などに張り出すことなどは決してない。これも暗に寄付を要求することになるとの考えからである。まさに同寺は寺を運営する上での理想といえるだろう。
「中学1年の夏休み『広島に帰りたい』と言いましたら師匠は「何か用はあるのか』と聞くのです。『用はないのですが夏休みですから』と言ったところ『用がないのに行くことはない』と叱られ、夏休み中毎日、金剛経というお経を師匠から口写しで覚えさせられたそうです。この話しを聞いたとき、そうした厳しい禅寺で育った住職だからこそ、善勝寺を現在の発展へと導いてこられたのだと確信しました」

国際ジャーナル 2004年1月号 掲載記事
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