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第54号 春彼岸号(平成18年3月10日発行)

善勝寺だより 第54号
平成18年3月10日発行
発行責任者 明見弘道
彼岸も近づき、遅れていた境内の紅梅もようやく開花しました。裏の土手沿いの柳の芽は大きくふくらみ烟の如くとなって、春を感じさせてくれています。
檀信徒の皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうか。

先日私は、鴻巣市医師会主催の市民公開講演会に行って来ました。タイトルは『よく生き、よく笑い、よき死と出会う』、講師は上智大名誉教授アルフォンス・デーケン先生でした。
デーケン先生はドイツ生まれですが1959年に来日され、長年上智大で講義をされ、日本に「死生学」という新しい概念を定着させたという理由で菊池寛賞を受賞された方です。

これまで学校の授業で「死」について考えることはタブー視されていましたが、今では先生の本が学校の教科書に採用されているとのことです。
誰しもが必ず迎えなくてはならない「死」、この死について考察することは、よりよく生きることにつながります。
デーケン先生は、人の死を四つの側面から説明します。
第一は、心理的な死。自分自身が生きている意味をなくすこと。
第二は、社会的な死。社会や家族との関わりがなくなること。
第三は、文化的な死。音楽・芸術・文学といった文化との関わりがなくなること。
最後は、肉体的な死。これは人間以外の動物も同じで、病気や老いなど生物としての肉体の衰えで死に至ります。
肉体的な死を以てのみを「死」考えますと、ただ一方的に下降線をたどることとなりますが、人間は、最後まで人間として成長することができます。肉体の衰えは止めることはできませんが、人間としての完成を求めることは最後まで持ち続けたいものです。

しかしこれは一人では出来ません、家族や社会との関わりを持ってこそできることではないでしょうか。
『もっとも悲惨なことは、飢餓でも病気でもない。自分が誰からもかえりみられないと感じることです。』これはマザー・テレサの言葉です。
家族との絆、様々な出会いや縁を大切にして、いよいよの時はみんなに『アリガトウ』と言ってお別れができたらいいなと思っています。

さて、はやお彼岸となります。
『彼岸』とは完成された智慧のことを言いますが、「愛と思いやり」のことと考えてもよいかと思います。
デーケン先生は、心の絆を結ぶものはユーモアで、ユーモアは愛と思いやりの現れだと教えてくれました。

明見弘道

春季彼岸会ご案内

例年の如く彼岸法要を行います。多数ご参拝下さいますよう、謹んでご案内申し上げます。

彼岸法要
3月21日(火曜日)
午後2時より
法要・法話に引き続き、茶礼

塔婆をお建てになる方は、お墓参りされるときまでに準備致しますので、お早めに電話やFAXなどで、お申し込みいただきますようお願い致します。

東光山ミニ法話

『白隠禅師座禅和讃』その22

三昧無礙の空ひろく、
四智円明の月さえん。

心が静かに落ち着いて、何のこだわりもない広々とした大空に、
佛の四つの智慧(大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)をことごとく具現したような名月が冴えわたるであろう。
(西村恵信師訳)

三昧という言葉は、「サマーディー」というインドの原語に漢字を当てたものです。「正受」または「禅定」「等持」と翻訳されます。正受の「受」は、般若心経に「色受想行識」とあります、あの五蘊の一つの「受」であり、今日の言葉で感覚にあたると思います。眼には色を見るという感覚があり、耳には声を聞くという感覚、鼻には香を嗅ぐ、舌には味わう、身には暑いとか寒いとか、外界に触れる感覚、意には苦しいとか楽しいとかが分かる感覚があります。
つまり、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を通じて、色・声・香・味・触・法という外の世界である六境を受け入れていく感覚作用を「受」といいます。

外の世界を、鏡がものを映すように、映っただけであとに何も残さない、とらわれのない、こだわりのない心が望ましいのでありますが、そういうこだわりのない感覚作用を、正しい感覚すなわち「正受」といいます。また、鏡のような汚れのない心を「六根清浄」と申します。

一般的に、念仏三昧、読書三昧、釣り三昧などといって、何かに夢中になっていることを、何々三昧と言いますが、私たちはその場その場、そのことそのことにあたって、精神を一つのことに集中して乱さないことが大切であります。仕事でもスポーツでも芸術でもこの精神の統一、集中することによって立派に完成されるのです。

般若心経に「心に罣礙なし、罣礙なきが故に恐怖あることなし」とあります。罣礙の罣はさまたげる、礙は邪魔するという意味で、心無罣礙で心にひっかかりがない、障りがない、つまりこだわりを捨てた心を言います。するといっさいの恐怖はどこかに消え去り、大空のようにカラッと晴れ渡るということを、また、天地と我とが一つであるという自覚を白隠禅師は「三昧無礙の空ひろく」と歌われたのでありましょう。

「四智円明」以降は次号に致します。

(故山田無文老師の著書など参考)

あなたはどう思われますか

姑さんと一緒の墓には入りたくないと言う方が多くあることは前から耳にしていましたが、このところ善勝寺の檀家の内でもそういうことが、数件ありました。そこで、読売新聞(平成3年6月16日、日曜版)の切り抜きを探し出して紹介することとしました。

つぎの文章は、鴻巣の仏教講演会にも講師として来ていただこともある、宗教評論家の「ひろさちや」さんが書かれたものです。

まんだら人生論

ひろ さちや
生前、折り合いの悪かったお姑さんの遺骨を墓に納めたとき、ほっとすると同時に、自分もこの墓に入るのかと想像して、ぞっとした。姑と同じ墓に入らぬ算段はできないか?ある女性から、そう問われた。

姑と同じ墓に入らぬ方法は簡単だ。生きている間に、彼女が自分の墓を別につくっておけばよいのである。
けれども、私はそんなやり方を好かない。そのやり方は仏教的でないと思う。
仏教では、われわれが死ねば、ほとけの国に迎えられると説く。ほとけの国は対立や争いのない平和な世界である。ある意味ではみんなほとけになるのである。
彼女と姑は、現世では、いがみ合って暮らした。不幸なことであったが、それが現世の縁なのである。現世では、お互いにそのようにしか生きられなかったのである。

だが、ほとけの国では、みんなほとけさまであって、仲良く暮らせる。現世では、彼女も姑も、われわれみんなが一種の仮面をつけて生きているのだ。
しかし、ほとけの国では、そんな仮面は不要だ。仮面をはずしてあるがままのほとけの姿で付き合うことができる。
ほとけの国に行ったら、わたしたちはお互いに相手の真実の姿、ほとけさまの姿を見ることができるのだ。
現在の仮面の姿をそのままほとけの国に持ち込むような、愚かなことをしてはいけない。

そして、この考え方は、生きている人間どうしに当てはまる。いまは対立関係にある人も、互いにほとけとなって付き合うことができる。そう考えたほうが、わたしは人間関係が楽しくなると思うのだが……

護持費納入のお礼とお願い

平成18年度分護持費の納入をお願い致しましたところ、早速にお納め頂き恐縮に存じます。
尚、当寺に墓地(合同墓地を除く)を取得されておられる檀徒の方、また、本堂内にご遺骨を預けておられる方で、護持費がまだ未納の方は、3月末日までには必ず納入下さいますようお願いいたします。

また大変勝手ですが、今後この『善勝寺だより』並びに諸行事の案内は、護持費を納入頂いた方に限らせて頂きます。(平成15年以降、役員会での申し合わせ事項であります)
霊園などに墓地がある方で、納入義務のないかたでも、『善勝寺だより』並びに、行事案内の発送を希望される方は、是非ご納入下さいますようお願い申し上げます。
ただ、葬儀・法要の依頼に関しては納入の有無に関係なく平等に承っておりますことを付け加えさせておきます。

振替用紙を紛失したので送ってほしいという方もありますが、振替用紙は郵便局の窓口にもあります。
(ただし手数料70円はご負担頂くこととなります)

会計 関根安正
振替口座番号は 00500-8-60592 善勝寺

事務局からのお知らせとお願い

年忌法要お申し込みのことですが、今年から法要予定の3ヶ月前からのお申し込みを受け付けることと致しました。
これままでは特に制限なく半年以上も先の法要を予定に入れていましたが、あとから寺の公式行事(本山関係の行事、教区並びに部内の行事、また、地区仏教会など諸団体の行事のこと)が決まるといったことがあります。この場合すでに受け付けておいた檀信徒の年忌法要日程の変更をお願いするケースが多々ありました。こういった公式行事はたいていは3ヶ月以上前には決まることが多いため、年忌法要の受付は原則として、法要予定の3ヶ月前から受け付けることと致しました。
檀信徒の皆様方には、ご理解とご協力の程、宜しくお願い申し上げます。

次に、法要中に携帯電話の着信音が鳴ることが多くなってきました。法要の雰囲気が損なわれますので、本堂に入るとき必ず、マナーモードに設定していただきますようお願い致します。

編集後記

  • 『善勝寺だより』春彼岸号をお届け致します。
  • またまたデーケン先生の話になりますが。「考える」を英語でto thinkドイツ語でdenken。「ありがとう」はto thankとdankenで、共にそれぞれ似ています。
    ものごとをよく考えると、自然にありがとうと言うことになるので、言葉(単語)も似ていると聞きました。
    中国語の「ありがとう」は「謝謝」感謝の謝です。「謝」にはどういう意味があるのかと思い辞書を見ましたら、おもしろい発見をしました。
    「衰える、しぼむ、移り変わる、死ぬ、詫びる、あやまる、つぐなう、むくいる、礼を言う、別れる」でした。
    こじつけかもしれませんが、肉体の衰えを感じたら、自分の非を認め、あやまり、アリガトウといってお別れしましょう。ということでしょうか。
    長いこと面倒を見た姑さんが、最後に「アリガトウ」といって死んだ。長年の苦労がこの一言で報われた感じがしたという女性もおられます。
  • 次回お盆号は、7月の初旬発行予定です。お盆に関することは、次号『善勝寺だより』をお読み頂いた後にお問い合わせ下さいませ。謝謝。

弘道
埼玉の永代供養、墓じまいのご相談は善勝寺
〒365-0013
埼玉県鴻巣市境147
TEL.048-569-0810
FAX.048-569-2294
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