善勝寺だより|選ぶ時代の選ばれている寺『永代供養の善勝寺』どなたでも納骨できる、永代供養墓『東光山合同船』

善勝寺だより

善勝寺だより

善勝寺だより 第64号

平成20年9月15日発行
発行責任者 明 見 弘 道
(1ページ)

重陽の節句(9月9日)になってようやく秋らしい天候になりました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。 今年は特に激しい雷雨になる日が多く、パソコンやコピー機などのコンセントを何回も抜く羽目になりました。幸い落雷はなかったのですが、今後のため、新庫裡の脇に避雷針を設置するための電柱を建てることにしました。

無文老師の「般若心経」の本を読んでいましたら『雷』にまつわる、おもしろい話がありました。雷が大嫌いな絵描きの話です。

体格は立派なのに、雷が鳴り出したら、小さく丸まってブルブル震えているような男でした。ある時、ケーブルカーというものができたので、あれに乗って愛宕山に登ってみようと云うことになりました。雷が来るから夏には山に登りたくないと言う絵描でしたが、仲間はケーブルでスッと上がるから大丈夫だと言って、無理やり連れて行ったのです。山頂の小屋で一杯飲んでいると、ゴロゴロと鳴り出しました。絵描きは怖くて震えだし、「ソレ来たじゃあないか、わしはいやだというに、おまえらが無理に誘うから。どうしてくれる、来たじゃあないか」と言いながら、ふと窓から外を見ると、雲は山の下の方に湧いている。ゴロゴロいうのも下の方で鳴っている。稲妻も下の方で光っている。絵描きはしばらくじっと見下ろしておりましたが、これなら安心だと思ったのか、「雷ほど面白いモノはない」と言って、手をたたいて喜んだという話です。

雷の下にいるから、いつも雷が苦になって恐れなくてはならないが、雷の上に飛び出してしまえば、ちっとも怖くない。雷が鳴るのがこんなに面白いモノはないという世界になるのです。

無明の下敷きになっていると、苦しまなくてはならないが、無明なぞというものはないものだ、しかし人間生きる限り無明がなくなるということもないと、こう解るなら、煩悩あってよし、なくてもよし。こういう自由な広々とした世界に入ることができるでありましょう。また、この世界を、『彼岸』と言います。

さて、先月の當山施餓鬼会には、多数ご参拝いただきましたことを厚く御礼申し上げますとともに、彼岸法要にもご来山下さいますよう、謹んでご案内申します。

明見弘道合掌

 

『ご案内』秋季彼岸会

下記の如く、彼岸法要を厳修致します、多数ご参拝下さいますようご案内申し上げます。

9月23日 午後2時より  法要の後、法話・茶礼永代供養の善勝寺

秋分の日をはさんで7日間を彼岸といいます。お墓参りやお寺参りをして故人を偲びます。

寺やお墓には、皆様のご都合のよい日、いつお参りされてもよいのですが、日程が合えば、お中日2時からの彼岸法要にお参り下さり、共にご読経いただければ幸甚です。

*塔婆を建てられる方は前もって、電話やFAXまたはメールでお申し込み下さい。なお、そのさい、施主名のほか、戒名、お参り予定日もご記入願います。

次に、彼岸会には、受付はありません。塔婆料(一基3千円)・お供えなどは、施主氏名をお書きの上、焼香の時、前机にある黒いお盆にお載せください。

  過去の善勝寺だよりへ 次のページへ

Copyright © Zensyouji. All Rights Reserved.