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善勝寺だより

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善勝寺だより 第62号

平成20年3月7日発行
発行責任者 明 見 弘 道
(2ページ)
永代供養の善勝寺

東光山ミニ法話

 『般若心経』 その6

 

 受想行識 亦復如是
 舎利子 是諸法空相
 不生不滅 不垢不淨 不増不減

前回に引き続き、般若心経前半は、「五蘊は皆空である」との説明が続きます。色受想行識が五蘊で、始めに、色不異空空不異色、色即是空空即是色。と、色は空であると説かれました。
「受想行識」も亦、色と同じである。
ということは、右の色を受想行識に置き換えるとこうなります。つまり、
受不異空空不異受、受即是空空即是受。
想不異空空不異想、想即是空空即是想。
行不異空空不異行、行即是空空即是行。
識不異空空不異識、識即是空空即是識。
と書くところ、「亦復如是」と、略したということです。色受想行識は、善勝寺だより59号(昨年のお盆号)に説明してありますので、ここはもういちいち解説する必要はないと思いますので省きますが、全ての事象は因縁によって生じるのであり、実体がある物は何一つとしてないことを繰り返し説いています。

「舎利子」、シャーリプトラさんと呼びかけですが、これも60号(秋彼岸号)にて解説済みです。

「是の諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、清からず、増さず、減らず」

諸法」の『法』、私たちが日常使う法は、法律・法則・憲法・方法・仏法・法事・法要など、何も疑問を持たず使うなじみのある漢字ですが、ここで云う諸法の法は、一般の漢字辞典にあるのり・てだて、という意味ではありません。

仏教語辞典によれば、法はインド語のダルマ(達磨さんのダルマです)の訳で、「たもつもの」、特に「人間の行為をたもつもの」が基の意味で、もちろん普段使われている法の意味も含まれますが、十八項目の意味が列記されています。般若教典の項目では、「心のあらゆる思い、思考の対象となるもの一般、心が対象としてとらえるもの」などと書かれてあります。

般若心経の解説書には、「この世において、すべての存在するもの」、また「いろいろのもの」、「あらゆる現象」などと訳されています。

諸法、人間が認識できる全てのもの、目に見えるものを始め、におい、味、音、などなど、とにかく全てのものは、因縁によって現れているだけで実体としてはなにもない。このことを「空相」と表現します。

私たちの脳による認識では、生まれたり滅したり、また汚れたりきれいになったり、増えたり減ったりしているように見えますが、真実は何も変化していない。つまり生ぜず、滅せず、垢つかず、清からず、増さず、減らず。と説かれています。

そんなことを云うけど、赤ちゃんが生まれた、おじいさんが死んだ。この事実はどう説明するのだ。と云う方もあろうかと思います。前回にも登場しました、解剖学者の養老孟司さんの著書「死の壁」には、人間を含む生物のどの時点が生で、どの時点で死と決めることはできないと書かれています。法律上、誕生あるいは、死亡と見なすことは便宜上決められていますが、科学的にはどの時点で死と決めることはできないし、生命は連続しているわけで、生物以外から新たに命を作り出すことはできないのです。そればかりか、全宇宙の質量とエネルギーは一定であるとの見方が現代科学者の見解です。

人間の思惟を越え、真理の世界、全宇宙的見地、あるいは科学の見地から見ると、「不生、不滅、不垢、不淨、不増、不減」であります。

〈つづく〉

[玄侑宗久著現代語訳般若心経・中村元著般若教典などを参照]

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