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善勝寺だより

善勝寺だより 善勝寺だより 第57号
平成19年1月15日発行
発行責任者 明 見 弘 道
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東光山ミニ法話

 『般若心経』 その1

 

     摩訶般若波羅密多心経

このミニ法話のコーナー「座禅和讃」が終わったら、次は「般若心経」にしょうと決めたのはもう1年も前のことであり、多くの方にそのことを話していました。しかし、いざ書くとなると、どの本を参考にしようかと迷っているのが現状です。

インターネットの検索エンジンでで「般若心経」と入れると、ヤフーでは6万2千4百、グーでは7万2千4百、グーグルでは何と109万件もの該当あり、想像以上の検索結果となりました。また、タイトルに「般若心経」が付く現在購入可能な本を「楽天ブックス」で検索すると、377冊ありました。

本文はたった262文字しかない短いお経です。多くの方に読まれ、多くの方がそれぞれの立場で解説書を書いておられるのですが、内容を理解するにはあまりにも深遠で、容易に理解しがたいというのが真実です。

あまり難しく考えると、前に進まないので、とにかく手元にある5・6冊本を参考にして始めることとします。

まず、仏教のお経といわれるものは、「如是我聞」つまり「私はこのように聞きました」という書き出しで始まるものが通例です。般若心経の流布本(通常読まれているもの)にはありませんが「大本」は「如是我聞」から始まります。このことは、お釈迦様自身が書かれたものではないということであります。またこの般若教典はお釈迦様が亡くなられて100年後に書かれたものといわれています。だからといって教典の価値が損なわれるというものではありません。2千5百年経った今も多くの方に読まれ、次々に解説書が出版されている事実がこの教典の重みを物語っています。

般若心経の元になっているのが、「大般若経」6百巻であります。善勝寺にも江戸中期より伝わる「大般若経」6百巻があり50巻ずつ12箱に収められています。私は第1巻の『序』以外は読んだことがありません。修正会で、「大般若波羅密多経巻第何々唐三蔵法師玄奘奉詔訳」と最初の1行を大きい声で唱えた後、経本をパラパラと左右にめくりますと、読んだことになる。これを転読といいます。善勝寺では私一人ですので、1日50巻、正月3日間で150巻、4年かかって600巻転読しています。

経本をめくっているときは、般若心経最後の呪文、「ギャーテーギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージーソワカー」と唱えます。余談になりますが、来年の修正会からこのところをお参りいただいた皆様にも一緒にお唱えいだだくようにしようかと思っています。

話を元に戻しますが、大般若経600巻のエッセンスを262字にまとめたのが般若心経ですので、短いといっても膨大な情報が凝縮されていると考えて下さい。限られたこの紙面にどれだけのものを書くのがよいのか迷うところでありまが、多数の檀信徒の皆様に読んでいただきたいのが本心でありますので、学問的な深入りはさけたいと思っています。物足りないと思う方は、他の解説書を併せてお読みいただきたく存じます。

さて、いよいよタイトルの「摩可般若波羅密多心経」ですが、摩可は、摩可不思議の摩可、また、マハトマガンジーなどというマハー、インドの言葉で大きいとか偉大なるという意味です。般若は智慧、波羅密多は完成とか究極と訳されます。般若波羅密多は本文に5回も出てきますが、究極の智慧または、智慧の完成という意味だと思ってください。心経の心は肝心要というように大切な、経はそのままお経です。

ちなみに、般若というと角の生えたあの般若のお面を想像される方もあろうかと思いますが、般若坊という人が作ったというだけで関係ありません。

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