善勝寺だより|選ぶ時代の選ばれている寺『永代供養の善勝寺』どなたでも納骨できる、永代供養墓『東光山合同船』

善勝寺だより

善勝寺だより 善勝寺だより 第50号
平成17年3月10日発行
発行責任者 明 見 弘 道
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永代供養の善勝寺

3月に入り、クロッカスやチューリップの芽も顔を出しかけたのですが、4日にはすっかり雪をかぶってしまいました。

まだまだ寒い日が続いていますが、皆様には如何お過ごしでしょうか。

私は2月初めに風邪をひき、うまく声が出ない状態が20日も続きました。医者はしばらく声を出さないようにと言うのですが、仕事柄そうはいきません。 特にそのころ葬儀・法事が集中し、声帯を痛めてしまったようです。「僧侶はお経の途中で咳をしたり、水を飲んだりができますが、歌手はそうはいかないので大変だろうな」などと思った次第です。

さてこの『善勝寺だより』も 今回で50号となりました。檀信徒の皆さまの励ましもあり、ここまで続いてきました。惰性的マンネリに陥らないよう一号一号気合いを入れて発行しなくてはと思ってはいるのですが、どうしても期日間際になり焦ってしまうのが現状です。

出来不出来はあろうかと思いますが、とにかく続けてまいりますので、今後ともご愛読頂きますようお願い申し上げます。

永代供養の善勝寺さて、はやお彼岸となります。この岸と書いて「此岸」、かの岸と書いて「彼岸」ですが、一言で言うと世間の物差しで生きているのが此岸で、仏様の物差しで生きるのが彼岸といえるかと思います。つまり「出世間」です。小乗仏教では、世間と縁を切って出家しなくてはならないと言う教えですが、大乗仏教の考えは、世間に居ながらして、

出世間できると言う教えです。

「渡る世間は鬼ばかり」というドラマがありましたが、世間はいつも自分を暖かく見守ってくれるとは限りません。子供が登校拒否になった、引きこもりになった、夫の会社が倒産した。などというと、周囲の視線が急に冷たく感じたり、世間から見放されたように感じるものです。

世間と全く縁を切ることはできませんが、いつも自分の味方とは限らない世間を、居ながらにしてかの岸に渡る方法があります。

それは、他と比べることをしないであるがままを受容して生きることです。

私達一人ひとり完成された存在であることを知って、世間ではなく仏様の物差しを使って生きる、それが彼岸への道しるべだと考えます。

明 見 弘 道 合掌

◇春季彼岸会ご案内◇

例年の如く彼岸法要を行います。多数ご参拝下さいますよう、謹んでご案内申し上げます。

   記
 彼岸法要
 3月20日(日曜日)
     午後2時より
法要・法話に引き続き、茶礼

塔婆をお建てになる方は、
お墓参りされるときまでに準備致しますので、お早めに電話やFAXなどで、お申し込みいただきますようお願い致します。

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