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善勝寺だより

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善勝寺だより 第95号

平成28年6月27日発行
発行責任者 明見弘道
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善勝寺だより第95号

東光山ミニ法話

  『魂のふるさと』山田無文老師著よりimage

人間尊重の教育

「一切の衆生悉(ことごと)くみな如来の智慧梠鰍具有す」お釈迦様がごらんになると、この世の中で仏でないものは一つもない、みんな仏様だ。みんな手を合わせて拝まねばならぬ尊い人ばかりだ。
 この世の中に、見すてられる人、ないがしろにされる人、はずかしめられる人が一人でもあってはならん。人間はみんな平等に尊厳なんだ。自分をわすれてすべての人の人格を尊重していくことが、真実の意味の人間尊重でなければなりません。
 花園大学に、大正時代学長をしていた方に釈宗演(しやくそうえん)という有名な方がおられました。鎌倉の円覚寺の管長にもなられた方ですが、少年のころ、京都の建仁寺塔頭(たつちゆう)の両足院(りようそくいん)という寺に峻崕(しゆんがい)和尚という学者がおられて、その先生について勉強をされていました。
 ある日、先生が外出されたので座敷の掃除でもしておったのでしょうが、ついくたびれて縁側で大の字になって昼寝をしてしまった。
 ふと気がつくと廊下の隅の方でミシリミシリという音がする。フッと眼をあけてみると先生が帰ってこられた。「しまった」と思ったが、先生の顔を見て起き上がるのも体裁が悪いから狸寝入りをして寝たふりをしておった。
 すると先生はだんだんそばへやってこられると、目をさまさせぬように自分の体をそっとよけて回られ、枕もとを通ってご自分の部屋に入られるとき、腰をかがめて小さな声で、「ごめんなされや」といってお部屋へはいられた。
 聞いておったのです。寝ておったんじゃないんです。どんなに感激したでしょう。普通だったら、「この横着者(おうちやくものimage)め、起きろ!」と足で蹴られてもしかたないところです。それを、目をさまさせんようによけて通り、おまけに目上の人か対等の人の枕元を通るときのように、腰をかがめて小さな声で「ごめんなされや」といわれた。
 「先生、俺を叱らなかったな!俺を対等の人間にあつかってくれたな!先生、俺の人格をみとめるてくれとるんだな!」とすっかり感激したんです。
 自分も勉強してえらい人にならなければ申しわけないと発憤したんです。それから勉強し修行して、わずか三十四歳の若さで鎌倉円覚寺の管長になられたのであります。
 人間尊重の教育とは、こういう教育でなければならんと思うのであります。     (続く)


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