善勝寺だより 第93号平成27年12月21日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『法句経(ダンマパダ)』その20「ここにて
この雨期を過さん
ここにて 冬を
かしこにて 夏を過さん」
心なきものは かく思いて
死の近づくを さとらず
(286 友松圓諦師訳)
中村元氏の訳では、「私は雨期にはここに住もう。冬と夏とにはここに住もう」と愚者はこのようにくよくよとおもんぱかって、死が迫って来るのに気がつかない。となっています。
唐の時代「洞山良价(とうざんりようかい)」という禅僧がおられました。あるとき雲水が尋ねました。「暑さ寒さがやってきた、どうやって逃れたらよろしいでしょうか」洞山和尚は「暑さ寒さのないところへ行けばいいじゃないか」との答え。「そんないいところがありますか。暑さ寒さのないところはどこなのでしょうか」という重ねての雲水の質問に対して、「寒いときは寒さと一つになり、暑いときは暑さと一つになることだよ」と答えられたのです。
江戸後期、良寛さんが越後に居られたとき、三条の町に大地震があり、多くの人が亡くなりました。信者であった山田屋の主人は良寛さんの身辺を心配して見舞いの手紙を出しました。良寛さんは、お礼の手紙をしたため、最後に「災難にあう時節(とき)には、災難にあうがよろしく候(そうろう)。これ災難をのがるるの妙法にて候」と書き添えられました。
一方、白隠禅師が書かれた墨蹟(ぼくせき)のなかに、「南無地獄大菩薩」と余白がほとんどないくらい、大きく太い字で書かれたものがあります。普通「南無」のあとは「阿弥陀仏」であったり「観世音菩薩」或いは「妙法蓮華経」であったり、有り難いものですが、白隠禅師は「地獄大菩薩」と書かれたのであります。
白隠禅師が出家されたのは、幼いころ母親に連れられて行った寺で、地獄にまつわる説法を聞いたことがきっかけだったそうです。地獄の苦しみから逃れたい一心で自ら出家を願い出たそうです。
その白隠禅師が「南無地獄大菩薩」と書かれているのです。
地獄と極楽は表裏一体。だからこそ、そこが地獄であろうが極楽であろうが、日々できること、やるべきことを一生懸命行い、生きていくことしかないのです。
青山俊董老師も大病を患った時、病気になったおかげで気付かせて頂いたことがあり、これをもじって、「南無病気大菩薩」と、有り難く病気を受けとめられました。
20回(5年間)続きました、法句経を題材とした、ミニ法話をひとまず終了と致します。
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