善勝寺だより 第91号平成27年6月25日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『法句経(ダンマパダ)』その18すべてのもの 刀杖(つるぎ)を怖(おそ)れ
すべてのもの 死をおそる
おのれを よきためしとなして
人を害(そこな)い はた
そこなわしむるなかれ
(友松圓諦師訳 129)
刀杖(つるぎ)をおそれ生命(いのち)ながらうこと
これすべてのひとの
のぞむところなり されば
おのれを よきためしとなして
人を害い はた
そこなわしむるなかれ
(同 130)
すべてのひとは 幸福(たのしみ)を好む されば おのれ自(みずか)らの
たのしみを求むる人
もし 刀杖(つるぎ)もて他人(ひと)を害(そこな)わば
後世(のち)にたのしみあるなし
(同 131)
すべてのひとは 幸福(たのしみ)を好む
されば おのれ自(みずか)らの
たのしみを求むる人
他人(ひと)を害(そこな)うことなくば
後世(のち)にたのしみをえん
(同 132)
お釈迦様在世当時のインドは、幾つもの国に分かれていて、それぞれ王様が統治していました。その中の一つにコーサラ国(舎衛国(しやえこく))があり、王様は仏教信者でありました。名前をハシノク王といいます。お妃様もまた熱心な仏教信者であり、名前はマツリカー王妃といいます。
ある日、王様とお妃様はお城のテラスから夕陽を眺めておられました。
しばらくの沈黙の後、王様が静に話されました。「先ほどから、この世で一番大切で、愛(いと)しいものは何かと言うことを考えていたのだが、この世で一番愛しいものは私自身だとの結論に達した。お妃はどう思うかね。」
そこでお妃様も夕陽を見ながら、しばらく沈黙していましたが、王様に言いました。「私もこの世で一番大切で愛しいものは、私自身だと思います。」
でも二人は、この考えはまちがっているのではないだろうかと不安になりました。そこで翌朝、祇園精舎に滞在されていたお釈迦様のところに行って教えを乞いました。
「私達二人は、この世で一番大切なもの、一番愛しいものは何かと考えていたのですが、二人とも、自分自身が最も愛しいものであるとの結論に達しました。この私達の考えはまちがっていないでしょうか」と。
お釈迦様は静かに答えられました。
「人のおもいは、いずこへもゆくことができる。
されど、いずこへおもむこうとも、人はおのれより愛しいものを見いだすことはできぬ。
それと同じく他の人々も、自己はこの上もなく愛しい。
されば、おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならなぬ」 (相応部教典)
そこで、最初の句に戻ります。
すべての人々は生を愛し、死をおそれ、安楽を欲しているから、自己に思い比べて他人を害してはならぬ。また害さしめてはならぬのである。
従って自己を愛する人は、実は他人をも愛する人といえるのであります。
(続く)
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