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善勝寺だより 第103号

平成30年6月25日発行
発行責任者 明見弘道
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善勝寺だより第103号

東光山ミニ法話


 『延命十句観音経』第四話   円覚寺派管長 横田南嶺老師著

仏(ぶつ)法(ぽう)僧(そう)縁(えん)

仏さまと 仏さまの教えと
 教えを共に学ぶ仲間とによって

お釈迦さまは、お互いにこの不安の世の中で、よりどころを持ちなさいと教えてくださいました。とりわけ「仏法僧」の三宝というよりどころをお説き下さいました。三つの宝です。
 まず第一に「仏さま」です。こういう不安な時なればこそ、お寺にお詣りして、仏さまに手を合わせると、それだけでも心が安まります。
 仏さまを拝む心、この心を仏心(ぶつしん)とも申します。みな仏心を持って生まれてきました。仏心を持っていればこそ、仏さまの前で手が合わさるのです。この手を合わす心、仏心こそが私たちの一番のよりどころです。
 二番目に「法」とは教えです。お釈迦さまの教えです。お釈迦樣の教えは「無常、無我」に尽きます。無常を見つめて、そこから心の安らぎを得なさいとお教えになりました。
 「無常」とは、常でない、移りかわることです。7年前の震災でもこれほど無常を感じさせられたことはありません。私たちは無常、はかなくもろく弱いものです。
 「無我」とは、ものはそれ自体では成り立たない、あらゆるものと関わり合いっていることを申します。みんながつながり合っているということです。
 お釈迦さまの教えを学ぶには、経典を学ぶことが一番ですが、大自然の姿からも学ぶことができます。一輪の花が咲いている、その姿にも十分に学ぶことが出来ます。
 花は無常であり、もろくはかないものです。明日にはもう散ってしまうかもしれません。しかし決して愚痴を言わずに、与えられたその場所で、精いっぱいお日様の光を浴びて今のひとときを咲いています。
 そして常に明るい方へ、日の当たる方へと枝を伸ばします。はかなくもろいからこそ、今日一日を精いっぱい生きることを一輪の花から学ぶことが出来ます。
 三番目は「僧」です。今日では僧侶、お坊さんを指して使われますが、本来は集まり、仲間という意味でした。共にお釈迦さまの教えを学ぶ仲間、集まりを僧と呼びました。人間は弱く決して一人では生きてゆけません。仲間が会って、助け合い支え合ってこそ生きて行くことができます。
 人は仏心の中に生まれ
 仏心の中に生き
 仏心の中に息を引き取る

(続く)
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[南嶺老師のどの本を読んでも、また誰が読んでも、わかりやすく書かれてあります。
 春彼岸の施本、「観音さまの心」も好評でした。 施餓鬼会の施本は、「戒の心」を用意しました。
お楽しみに。]

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