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善勝寺だより

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善勝寺だより 第102号

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平成30年3月10日発行
発行責任者 明見弘道
(2ページ)
善勝寺だより第102号

東光山ミニ法話



『延命十句観音経』第三話  円覚寺派管長 横田南嶺老師著

 与仏有因 与仏有縁 (よぶつういん)(よぶつうえん)

仏さまの心が、私たちの持って生まれた本心であり、さまざまなご縁に恵まれて、この心に気がつくことができます。
 「与仏有因」は、仏と因有りと読みます。
 仏さまと同じ原因を持っている、仏さまになる原因は、仏さまの心を持っているということにほかなりません。仏さまと同じ種を心にもって生まれているのが私たちだということです。
 続いて「与仏有縁」、これは仏と縁ありです。
 仏さまになる一番の原因は、我々が誰一人例外なく仏さまの心を持って生まれているということです。
 ただどんなに、種があってもご縁が無いと芽が出ません。立派な種を持っていても、引き出しの奥に入れたままでは花が咲かないのと同じ道理です。
 こうして仏さまの教えを学ぶことも大きなご縁です。様々なご縁で、本来持って生まれてきた仏さまの心が花開きます。
 そして学ぶ気持ちがあれば、ご縁はどこにでもあります。人との出会いもそうです。人ばかりではありません。自然の景色に教えられることもあります。「我以外はみな我が師」と吉川英治さんが仰っています。いろんな人との出会い、大自然の様々な営みとの出会いによって、この仏さまの心に気がつくことができます。
 私(南嶺老師)が中学の時、
紀州の田舎から初めて上京して、三田の龍源寺で松原泰道先生にお目にかかった時のことです。
 その初対面の時に、私は何とも無礼にも、色紙を持って行って、
 「仏教のお経はたくさんあり、本もたくさんあります。とてもすべてを学ぶことは不可能です。そこで仏教の教えを一言で言い表す言葉を書いて下さい」とお願いをしました。
 今思い出しても冷や汗が出ます。今の私に、もし中学生が同じ質問をしてきたら、相手にしないかも知れません。
 しかし泰道先生はいやな顔ひとつなさらずに、お書き下さいました。それは短い詩でした。
102号画 
   花が咲いている
   精いっぱいさいている
   私たちも

   精いっぱい生きよう
102号画
と書かれていました。
「花はなぜ咲くのか、考えなさい。それは種を残すためとかいわれるでしょうが、その花が咲いている姿を見て、何かを学ぶことが大切です。
 花は与えられた命を精いっぱい咲いている、その姿を見て自分も精いっぱい生きようと学ぶことです」
 と、確かそのようなことをお話し下さいました。
 はじめはこんな詩の何処がいいのかわからなかったのですが、あれから30年以上、私の修業時代を支える言葉となりました。何事もとにかく精いっぱいつとめる、これしかありません。出来る出来ないという結果を問うのでなくて、いま精いっぱいつとめることです。

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