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善勝寺だより

善勝寺だより

善勝寺だより 第80号

平成24年9月6日発行
発行責任者 明見弘道
(2ページ)
善勝寺だより第68号

東光山ミニ法話

 『法句経(ダンマパダ)』その7

 

一かかえほどの磐石(いわいし)
風にゆらぐことなし
かくのごとく 心あるものは
そしりと ほまれとの中に
心うごくことなし(81)

「風吹けども動ぜず天辺の月」また、 「八風吹けども動ぜず」という禅語があります。大嵐の晩でも月は天にあって動ずることはありません。

八風とは、人間の心を動かす対象として、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽の八つと言われています。つまり、成功したといっては、有頂天になる。失敗したといっては意気消沈し。毀(そし)られたといっては、腹を立て、誉(ほ)められたといっては、調子に乗ります。毀は陰でそしることであり、譏は目の前で悪口いうこと。また誉は陰でほめることであり、称は本人に向かって賞賛することです。いずれにせよ私たちは、そういうことを常に気にして心を動かすものであります。

苦しみと楽しみに至っては、なおさら強く人の心を動かします。人はみな苦しみを逃れんとし、より多くの楽しみを求めて、一生わけもわからずさ迷います。

どんなに風が吹いても、どんなに雨が降っても盤石の微動だもしないように、成功しても失敗しても、誉められても謗られても、楽しみにも苦しみにも、心を動かさぬ人こそ、智者(賢者)と言うべきであるとお釈迦様は説かれました。

 

底深き淵の澄みて
静かなる如く
かくのごとく 心あるものは
心あるものは 道をききて
こころ安泰(やすらか)なり(82)

 

心ある人は
いかなるところにも
著(じやく)(執着)するなし 
かかる人はこの欲
かの欲にほだされず
福(たのしみ)にあうも
はた 苦しみにあうも
心ある人は
その思いうかぶことなく
その思い沈むことなし(83)

渓流の深い淵は、あせらず騒がず争わず、水はたえず流れていながら、流れるとも見えず、千古の碧を湛えて、清寂そのものです。  

み教えをよく守り、心の調えられたる智者もまた、この渓谷の淵のように、あせらず騒がず争わず、動いて動くとも見えず、深く仏心を湛えて清寂平安であるとお釈迦様は教えられています。

数多き人々のうち
彼岸(ひがん)に達するは
まこと かず少なし
(あまた)の人はただ
この岸の上に
右に左に 彷徨(さまよ)うなり(85)

彼岸とは理想の世界であり、あこがれの世界であります。

この岸が、善と悪、美と醜、勝と負、毀と誉、苦と楽など二元対立の世界ならば、彼の岸は善悪を越え、美醜を離れ、勝負の無い、利衰毀誉苦楽に心を動かされることのない世界であります。

しかし、そんな世界に到達できる人はごくまれな人でありましょう。

私たちは現実の喜怒哀楽の世界にあって、一歩でも彼岸に向かうため精進したいものです。

〈つづく〉

(内容は無文老師の法句経講話を参  照し、本文は友松圓諦師の訳です)

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