善勝寺だより 第78号平成24年3月6日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『法句経(ダンマパダ)』その5
62 「我に子等(こら)あり
我に財(たから)有り」と
おろかなる者は
こころなやむ
されど われはすでに
われのものにあらず
何ぞ子等あらん
何ぞ財あらん (友松圓諦訳)
一休さんは、亡くなられるとき「拝借申す四大五蘊、お返し申す今月今日」と辞世の句を読まれたそうです。
私たちのこの体は自分のもののように思っても、やがては元の大自然にすっかりお返ししなくてはならないもの、つまり預かりものであります。
この身体が自分のものなら、白髪も生えないように、皺もふえないように、頭も禿げないようにできそうなものですが、何一つ思うようにならないところを見ると、やっぱりわがものではない。
わが身体さえ、わがものでないとしたら、子供をわが子だの、家屋敷をわが財産だのと主張するものがあったら、まことに愚かしき極みであります。
子供には子供の人格があり、個性があり、誰も犯すことのできない独自の人生がある。どうして、親があたかも所有者の如く、これを自由にあしらうことができようか。
この世の中に、自分の私すべきものは一物もなく、自分が危害を加えていい生命も一つもない。全ての生命を活かすために、体も物も心も、全てを捧げることが釈尊の根本思想でありました。
裸で生まれて来たになに不足。着物も家も財産も自分の身体さえも、すべては預かりもので、私すべき一物もないとわかることが、仏道に入る第一歩であります。 (無文老師著「真理の言葉」より)
アメリカ先住民の言葉に、
「地球は先祖から受け継いだものではない。未来の子供から預かっているものなのだ」というのがあるそうです。
私たちのこの体も預かりものですから、大切に使わなくてはなりません。体を維持するためには、バランスのとれた食事をしなくてはならないですし、疲れたら休息も必要です。病気になったら薬も必要です。
それと同じように、この地球も、未来の子供から預かっているのであれば、より良い状態に保ち未来に受け継いでもらわなくてはならないのですが、資源を使い果たし、最悪な環境で未来の子供に受け継がせようとしています。
特にこの度の震災であらわになった、原子力の問題。人類には制御できないもののように思えてなりません。核爆弾と共に、原子力発電も未来の子供のために破棄すべきではないでしょうか。
63 おろかなるものも
おのれ愚かなりと思うは
彼これによりて
またかしこきなり
おろかなるに
おのれかしこしと思うは
彼こそ まこと
おろかといわるべし
愚かなことを愚かなことと思うことが大切で、人間は賢いので科学の発達で何でも解決できると思うことは最も愚かなことではないでしょうか。
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