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善勝寺だより

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善勝寺だより 第74号

平成23年3月7日発行
発行責任者 明見弘道
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善勝寺だより第70号
永代供養の善勝寺

東光山ミニ法話

 『法句経(ダンマパダ)』その1

  今回から「法句経」を題材として、お釈迦様の教えをわかりやすく解説したいと思います。

第1回目として、法句経とはどういうお経かと言うことをお話し致します。

その前に、基本的なことですが、仏教とは何か、それは「お釈迦様の教え」と言うことであり、その教えを逸脱するものは仏教とは言いません。そのためにはお釈迦様の説法とはどういったものであったかを知る必要があります。 この法句経は、日本で法要の時読まれるお経ではありませんが、スリランカなど南方仏教と言われる国々では、僧侶としての入門時基本的なお経として暗記しなくてはならないとされる大切なお経であり、広く世界に翻訳され紹介されています。お釈迦様在世当時の説法をそのまま書きとめたものであると言っても過言ではありません。

お釈迦様は、6年間の苦行の後、インドのガヤという村で、大きなピッパラ樹の下で坐禅をされ悟りを開かれました。お釈迦様が35歳、12月8日の朝と言われております。その後ガヤはブッダガヤと、またピッパラ樹は菩提樹と言われるようになりました。

そして、このお悟りの内容を5人の比丘に鹿野苑(サルナート)で初めてお話され、その後入滅されるその日まで45年間布教の旅を続けられたのです。

お釈迦様入滅後、その布教の内容を後世に正しく伝えなくてはならないとの思いで、摩訶迦葉尊者が釈尊の弟子のうち長老といわれる5百人を招集しラジギールという町の郊外で編集会議が開かれました。

お釈迦様のそばに絶えずおられ、釈尊の説法を最も多く聞き、最もよく記憶していた多聞第一といわれるアーナンダがその説法を再現しました。

永代供養の善勝寺議長である摩訶迦葉尊者は五百人の長老みんなに一節ごと「アーナンダが言ったことに間違いはないか、異存のある者はないか」と、いちいちそれを 協議検討され経典として編集されました。

この会議のことを「第1結集」といい、その後第4回まで開かれたと伝えられています。

この最初の「結集」で編纂された経典の中でも南方仏教で最も重要視されているのが『ダンマパダ』というお経で「法句経」と訳されています。

「ダンマ」(ダルマ)は「法」であり「真理」であり、「パダ」は「句」とか「言葉」の意味であります。 法の句、真理の言葉という意味であります。漢訳では古くから「法句経」と翻訳されています。原語には「経」という意味はないのですが、他の経典とのつり合いをとることから「経」を加えて「法句経」とされたようです。

一句一句は短い詩でありますが、全部で423句から成り立っています。今回この「ミニ法話」を法句経にすると決めた時は、自分の勉強でもあるから、1から最後まで全部取り上げるつもりでしたが、今になってよく考えると、1回に3句ずつにしても141回、35年以上になり、自分が93歳になるることを知り諦めました。無理のないよう1回に2・3句ずつ紹介することにして、内容的に似た句は省くことにしました。

今回このコーナーを書くにあたって、参考文献として使う本は、友松圓諦師の「法句経」「法句経講義」、山田無文老師の「真理の言葉」、スリランカ仏教会の長老、アルボムッレ・スマナサーラ師「原訳法句経」、中村元氏訳「真理の言葉」などです。

〈つづく〉
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