善勝寺だより 第72号平成22年9月7日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『般若心経』 その16故説般若波羅密多呪 即説呪曰
それでは、この般若の智慧を唱えごととして示そう。
般若そのものが呪文であるけども、呪という以上、言葉を示さねばならんから、そこで言葉をもって示そうと言われるのであります。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶これが般若の唱えごとであり、この般若心経の最後を飾る言葉であります。
これも翻訳をせずに原語のままですが、こういう唱えごとは翻訳をすると値打ちがなくなり、功徳がなくなります。また唱えごとでありますから、非常に音律のよいものでないといかんので、へたに翻訳をするよりは、わかっ
てもわからんでも、
羯諦羯諦 波羅羯諦
波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
と唱えると、唱えやすいと言うわけです。口で唱えるだけで、般若の智慧がわからんでも、般若の智慧がわかっただけの功徳があると言うのであります。
人間性の本質がわかるの、真実の自己がわかるの、悟りが開けるのということは、なかなか並たいていのことではありませんが、それがわからんでも、「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」と唱えると、一切の苦しみから解放されることができるのであります。(ここまで故山田無文老師著「般若心経」を引用しました)
さて、このギャーテーギャテーから始まる呪文ですが、訳さない方がよいという考え方もあり、玄侑宗久師の現代語訳般若心経には「意味を気にしないことです」といってどういう意味かはあえて訳されていません。
唐の三蔵法師玄奘も漢字に訳すと趣意がうまく伝わらない、むしろ不思議な力を持つためには訳さない方がいいと思って、音だけを移して羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶と記されたのです。
しかし、「わからなくていい、意味は気にしないでよい」といわれるとますます気になります。そこで、中村元先生の著書「般若教典」を参考にして解説することにします。
もとのサンスクリット語の発音は、「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」で、次のように訳されています。
「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 彼岸にまったく往ける者よ さとりよ 幸あれ」山田無文老師はここのところを、
「救われた。救われた。完全に救われた。みんな完全に救われた。ここがお浄土だった。」と訳されました。
「ガーテー」漢字では「行」英語のGOです。過去形に訳すのが一般のようですが、柳澤桂子女史は「行く者よ行く者よ 彼岸に行く者よ」とされています。
私は全く個人的な感覚では、 「行きましょう、行きましょう、 彼岸へ行きましょう、みんなで一緒に彼岸へ行きましょう」というように訳して、またそういう願いを込めて読経しています。
四年かかってここまでたどり着きました。次回はいよいよ最終回となります。
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