善勝寺だより 第59号平成19年7月1日発行発行責任者 明 見 弘 道 |
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東光山ミニ法話
『般若心経』 その3照見五蘊皆空 度一切苦厄
前回に五蘊とは、色・受・想・行・識と言いましたが、これをもう少し詳しく説明することと致します。
第一の色は、物質的なもの、形ある全ての物であり、私たちで言うならば、肉体のことです。後の4つは、精神作用です。
第二番目の受は、外の世界を受け入れるという意味で、感覚の集まりのことです。具体的には、眼・耳・鼻・舌・身・意という「六根」が、色・声・香・味・触・法という「六境」を感受する、その感覚のことをいいます。法は真理、法則などいろいろな意味がありますが、ここでは「思い」という意味です。
第三番目の想は、判断、認識のことをいいます。六根が感受したものが脳に伝達され、紅い花だ、鳥の鳴き声だ、いい香りだ、などと認識されます。
第四番目の行は、行いであり、判断が行為に移ることをいいます。美味しそうな物を見ると、食べたいと思う。いい服を見つけると、着たいと思う。実際にそうするかどうかとは関係なく、特定の方向に気持ちが向くことをいいます。
最後の識は、本能といわれるものも含め、経験、知識、認識などといわれるもの全てをいいます。
これら五蘊は、全て「空」だというのです。「空」の説明は難しいのですが、実体ではなく、仮に現れた現象のことを「空」という言葉で置き換えています。
物質を「色」という言葉で現しているといいましたが、インドの言葉で「ルーパ」を「色」と訳しました。元の「ルーパ」には「形あるもの」という意味の他「変化する物」「やがて壊れるもの」という意味もあります。
またインドでは古来から物質は、地水火風の四つの元素から成り立っている。あるいはこれ以上分割できない粒子「極微」(原子)、それが七つ集まって「微塵」(分子)などといわれるものを考えていたのですが、実体として存在する物はなく、全ての物は縁に従って現れたり滅したりしているのだということを「空」という一文字で表しました。(色即是空)
また、仏教では、この世は「一切皆苦」であると説き、苦を滅する方法を教えています。
苦というと、四苦八苦という言葉を思い浮かべると方が多いでしょう。その四苦とは、生・老・病・死をいいます。また、八苦は四苦の他、愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)、怨憎会苦(憎たらしい人にも会わなくてはならない苦しみ)、求不得苦(求めるものが手に入らない苦しみ)、五蘊盛苦(五蘊から生ずる苦しみ)をいいます。最後の五蘊から生ずる苦しみというのはよく分からないかと思いますが、自然に活動すること自体が私を苦しめる、肉体的・精神的なストレスもこれにあたります。
「私は(観音様のこと)五蘊は皆空だということを見極めることができましたので、一切の苦悩とか災厄を感じなくなりました」
《故山田無文老師の著書・現代語訳般若心経(玄侑宗久師)・般若教典(中村元氏)などを参考にしました》
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