善勝寺だより 第55号 平成18年7月1日発行 発行責任者 明 見 弘 道 |
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東光山ミニ法話
『白隠禅師座禅和讃』その23三昧無礙の空ひろく、
四智円明の月さえん。
心が静かに落ち着いて、何のこだわりもない広々とした大空に、佛の四つの智慧(大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)をことごとく具現したような名月が冴えわたるであろう。 (西村恵信師訳)
前回、三昧無礙まででしたので、今回は四智円明のところを解説します。
善勝寺では、塔婆の最初に圓相(マル)を書き四文字の熟語、次に為を書いて戒名を書いています。四文字の熟語にこの四智、大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智という言葉をよく書きますので、ご存じの方もあろうかと思いますが、仏様の智慧を四つに分けてこのように言います。
第1の智慧、知識以前、経験以前の純粋な心、鏡のように清浄無垢な心、これを仏教では大円鏡智といいます。大きい円い鏡のような智慧であります。といっても心が円いとか鏡のように光っているものだとか言うのではなく、鏡のようなと形容されるだけで、もとより形があるものではありません。
人間の本心というもの、生まれたままの心というものは、誰にでも平等に円満にそなわったものであるから、偉い人だから特別ふくらんだところがあるでなし、愚か者だからといって格別へこんだところがあるのではないのです。生まれ出てからの経験と知識にはそれぞれ差別がありますが、生まれたままの心はすべての人が全く平等であり、人格は平等に尊厳だと言われるのもこのことです。
古来より人間の本性を鏡にたとえられます。ものが映ったと言って鏡の中に生じたものはないし、ものが去ったからと言って滅したものはない、汚いものが映ったからと言って鏡は汚れることはない。般若心経に不生不滅、不垢不淨、不増不減とあるのは人間の本心を言ったものです。またこの清浄無垢な本心を法身佛と呼びます。
第2の智慧は、平等性智といいます。自分と他との区別がなく、山も川も森羅万象自己ならざるはないと自覚し、我の個体も、他人の個体も、何らの区別なく、平等に眺められる高い智慧を平等性智といい、前段の法身佛にたいし報身佛と言います。
第3の智慧は、妙観察智、第4の智慧は、成所作智といいます。
禪で、分別するなとよく言われますが、これは妄想執着を離れよと言うことであり、私たち人間は分別を捨てて生活をすることはできません。知識と経験を離れては生きられないのであります。科学的・論理的・哲学的な知性もなくてはなりません。
そこで、対象について十分に観察する智慧、それが妙観察智であります。その上で、望むがままに自由自在にはたらく智慧、成すべきことを成し遂げる智慧、これ成所作智と言います。
佛菩薩はこの智慧をもって相手の心情と環境を微細に観察し、自由自在に救済の手をさし伸べ、衆生済度をなさるのであります。
この2つの智慧は、化身佛・応身佛の働きをする、大切な智慧であります。
この4つの智慧がすべて備わっていることを四智円明といい、これを月にたとえ、四智円明の月さえんと、白隠禅師はうたわれたのであります。
(故山田無文老師の著書など参考)
法身佛、根本の真実そのものが仏であることを示す。
報身佛、完成した人格としての仏(ブッダ)すなわち悟った者を示す。
化身佛・応身佛、衆生を教化救済しようとして、仏が変現して衆生の姿となったものを言う
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