善勝寺だより|選ぶ時代の選ばれている寺『永代供養の善勝寺』どなたでも納骨できる、永代供養墓『東光山合同船』

善勝寺だより

善勝寺だより 善勝寺だより 第40号
平成14年9月12日発行
発行責任者 明 見 弘 道
  (2ページ)

東光山ミニ法話

 『白隠禅師座禅和讃』その8永代供養の善勝寺

 

     六趣輪廻の因縁は己が愚痴の闇路なり。
        闇路に闇路を踏みそえて、いつか生死を離るべき。

「六つの迷いの世界(六道)を巡らねばならないことになったのも、自分の愚かさゆえの暗闇の道というほかないのだ。

そういう暗い道ばかりさまよい歩いていて、いつの日に迷いの世界を脱出することができよう。」

六道の解説のうち前回『餓鬼』までで終わりましたので、今回は『畜生』『修羅』『人間』『天上』へと進みたいと思います。

『畜生』というのは、一般に獣たちのことですが、これは自分で自分の心をコントロールできない、自分の欲望を加減することができない、こういう世界を象徴するものです。

こう考えれば果たして私たちは畜生の世界と無縁だといえるでしょうか。

人間は、理性的存在などといいますが、ささいなことで理性など消し飛んでしまうのが我々の実体です。

『修羅』というのは争いの世界です。戦争をしたり、喧嘩をしたり、要は相手に深い憎しみを持って、これを傷つけたい、害したい世界、それが修羅です。

人類が、いや私たち一人一人が修羅の世界から脱却できない限り悲惨な戦争、凶悪事件がなくなることはありません。

『人間』というのは、喜びと苦しみが相半ばする世界です。我々の普通の生活を象徴したものです。『天上』といいますのは、喜びのみあって苦しみのない世界で、ちょうど地獄の正反対になります。

以上のような六つの世界を六道と呼んでいるわけですが、昔の人々はこれらの世界が別個に、それぞれ存在すると考えていました。一人一人の人間には、霊魂というものがあって、肉体は滅んでも、自分の霊魂は宙を彷徨い、次の世界へ入っていく、と考えました。インドだけでなくエジプトにも同じような発想があったようです。

そこで、自分の過ごした一生の間に、善いことをどれだけし、悪いことをどれだけしたか、その結果によって、次の世界が決まる。そして次々と果てしもなく別の世界に生まれ変わり彷徨っていく、これを『輪廻転生』といいます。

もともと仏教の考え方ではないのですが、こうした『輪廻』という考え方が、仏教と一緒に日本にも入ってきました。まだ人間の知識が低かった時代には、これを教えることによって、悪いことをしないように戒めることが行われました。 しかし、真理を悟られました釈尊、また祖師方々は、私たち一人一人に固有の霊魂があるというようには教えていません。

宇宙の大生命が、それぞれの存在として現れては消えて、またもとの宇宙の大生命に帰る。だから個々の魂があるのではなく、『仏性』と呼ばれる宇宙の大生命が平等に通っている、というのが仏教の教えです。

したがって、六道ということは、生死を繰り返して、あちらの世界、こちらの世界へ行くということではなくて、日々の生活の中で、私たちの心理状態があちらへ動き、こちらへ動いたりすることだというように理解したらいいでしょう。私たちの生活はたった一日のうちでさえ、様々に変化し、あるときは地獄、あるときは修羅と彷徨います。六道は決して空想的なものではなく、私たちの心の様相を鋭く、的確に捉えた表現であり、現代人の心の有様そのものです。    

(つづく)

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