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善勝寺だより

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善勝寺だより 第87号

平成26年6月26日発行
発行責任者 明見弘道
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善勝寺だより第79号

 
 暑中お見舞いimage
  申し上げます。


 真夏日が続いたあとの一雨で入梅となりました。
毎年この時期になりますと、裏の星川(見沼代用水)の向こう岸から、牛蛙の鳴き声が聞こえます。ヴオー・ヴオーと大きな声で鳴いています。田圃で一斉に鳴く若く元気のあるカエルの声も好きですが、牛蛙は老境の域に入ったなにかもの寂しいところが好きです。
 檀信徒の皆様におかれましてはご清祥のこととお察し申し上げます。
時が過ぎるのは早いもので、もうお盆の案内をする時期になりました。別紙案内をお読みの上、多数ご参拝下さいますようお願い申し上げます。
 先日、カール・ベッカー氏(京都大学大学院教授)の講演録を読んでいましたら、日本人の生死観、精神文化が大変優れていることを紹介されていました。
 話は変わりますが、先日私はローマ、バチカン美術館の絵画を見る機会を得ました。ミケランジェロの有名な「最後の晩餐」などです。それらに書かれている人物は、子供から老人に至るまでみんな筋骨隆々としたマッチョなんです。これには違和感を覚えずにはいられませんでした。西洋ではマッチョが理想体型なんでしょうが、子供ら老人までマッチョはないでしょう。

(以下、ベッカー氏講演録引用)
 人間誰しも年とともに肉体は衰え、男女を問わず筋肉や脂肪は垂れ下がってしまいます。
そして最終的には若者に勝てなくなってしまって、どんなに過去の栄華を自慢したところで、それは負け惜しみにしか聞こえません。
image つまりこのことは、人間を動物的な観点で評価した結果の表れの果てなのでして、誰だって老いには勝てませんし、70歳や80歳のおばあちゃんが厚化粧してビキニを着て「私だってまだ若いわよ」とアピールしてもそれは非常に情けなくて虚しい印象しか及ぼすことはないのです。
 しかしながら、これが日本の場合ですと、80代になっても衰えることのない、誰にも真似のできない精神性や芸術性をともなって、人間の理想型を披露することができるのです。
80歳のおばあさんがきれいな着物を召した途端、すばらしい日本舞踊を舞い踊ることもあるでしょうし、あるいは研ぎ澄まされた作法でお茶を点てて客人をもてなすことだって、まったく不思議なことではありません。
 いつまでも若かりし頃に束縛され、若さばかりを賛美するのではなく、逆に年をとることの意味や、老いることの崇高さを体現することによって、人間はより理想的な生き方を体得できるのだということを、私達は知るべきではないでしょうか。
 この続きは、施餓鬼の時にお話しすることと致します。   明見弘道

 

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