善勝寺だより 第83号平成25年6月24日発行発行責任者 明見弘道 (2ページ) |
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東光山ミニ法話
『法句経(ダンマパダ)』その10 苦と苦のもとを あきらめて
滅と滅への 八つの道
(191 )
行じてあらば 救われん
これぞこよなき 帰依と知れ
(192 )
前回は、仏法僧の三宝に帰依する人は、正しい智恵をもって、四つの尊い真理を見る。でした。
四つの尊い真理と言うのが、苦諦、集諦、滅諦、道諦という四諦の法門と、八正道のことであります。このことは、善勝寺だより65号(平成20年年末号)「般若心経」の解説の時にも書きましたが、「苦」は、苦しみ、また思うようにならないこと。「苦のもと」は、苦しみの成り立ち。つまり「集」です。「あきらめて」は、「諦」。「滅と滅への八つの道」苦しみの超克と、苦しみの集滅(おわり)におもむく八つの尊い道、つまり八正道です。
因みに、八正道とは、正見・正思惟・正語・正業・正精進・正命・正定・正念を言います。
友松圓諦師の法句経講義では次のように説明されています。
「この人生というものは、考えてみると非常に苦しいものだ、この苦しい人生を乗り越えるには真理によるより他には方法がない。世の中を乗りこえ超克してゆくのに八つの道というものがある、この八つの道はよく多くの苦しみを除くことができる」という意味になります。
無文老師の「真理の言葉」に、八正道とはつまるところ、正念の一正道に尽きよう。正念は即ち無念である。何も思わぬことである。「何も思わぬは、仏の稽古なり」と無難禅師(ぶなんぜんじ)は示されたが、座禅するのも、念仏するのも、題目唱えるのも、正念相続何も思わぬ稽古である。正念相続こそ涅槃への正道である。と述べられています。
お釈迦様の多々ある説法でも、この「四諦八正道」の法門は、生涯を貫いて示された真理であります。
原始仏教教団において、法に帰依するとは、この四諦八正道の真理に帰依することであり、仏に帰依するとは、この真理を初めて自覚された釈尊に帰依することであり、僧に帰依するとは、その真理を求め学び行じてゆく集団に帰依することでありました。
終わりに、友松圓諦師、法句経講義の最終ページを要約して紹介します。
「三宝に帰依し、八正道を行ってゆくならば、かならず人間の理想に近づいてゆきます。仏教は空理空論ではなく、あくまでも実践(修行)です。
お互いに自分の生活、日常の生活の中に感ずるところの、様々な苦しみを、堂々とかみしめ、深め、そして打開してゆくのです。病気の苦しみも、生活苦も、恋愛の悩みも、いっさいこれに正しい方向を与えてゆこう、打開してゆこう、こういうような気持ちで、くるしみをかみしめ、苦しみにときにはまけながら、一歩一歩堅実な宗教的な生活を営むこと、それが「菩薩」の階級をのぼってゆくのです。私たちは夕(ゆうべ)を送り朝(あした)を迎えて、刻一刻に、日一日に、自分の生活を伸ばしてゆく、つま先上がりの生活に入りたいものです。
ここに四つの真理と八つの道の尊い真理があります。」 (つづく)
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