善勝寺だより|選ぶ時代の選ばれている寺『永代供養の善勝寺』どなたでも納骨できる、永代供養墓『個別納骨型合同船』

善勝寺だより

善勝寺だより

善勝寺だより 第108号

令和元年9月10日発行
発行責任者 明見弘道
(2ページ)
善勝寺だより第104号

東光山ミニ法話

善勝寺だより

『延命十句観音経』
        円覚寺派管長 横田南嶺老師著

念念従心起(ねんねんじゅうしんき)

 一念一念何をするにつけても
    この思いやりの心から行い

「念念従心起」は一念一念、何をしても何を思っても、心より起こす、観音さまの心、仏さまの心、人を慈しみ思いやる心から、まごころより行動を起こしてゆくことです。

では、心をこめるとはどんな事でしょうか。お茶を一椀入れて差し上げるにしても、茶道の教えがあります。茶道こそは心をこめて一椀のお茶を差し上げるものです。
 お茶の教えには有名な「一期一会(いちごいちえ)」という言葉があります。この時の出会いが一生涯で一度きりのものだと思って、おもてなしをしなさいという教えです。
 心あればこそ、いのちあればこそ、ものを見、耳で聞き、舌で味わい、あれこれ思う事も出来ます。その心こそ、そのいのちこそ仏さま、かけがいのない尊いものです。

このいのち、心の貴さに気がつけば、必ずこれは自分だけではない、まわりりの人もみなこのいのちを生きている。人だけではない庭の草も花も、鳥や獣達も皆この心をもっていきている。この心に自ずと手が合わされます。生きていのちあること、これほどすばらしいことはありません。
 ただ何でも合理化して、手間を省いてばかりいますと、何が大事な事なのか、結局何をしようとしているのか見失うことがありませんでしょうか。食べて出して眠る、 もう一度、生きているいのちの原点に立ち返って見るのが座禅でもあります。

臨済禅師が説かれたのは、今話を聞いているあなた方の、その心こそ仏さまだということです。この心を仏心(ぶつしん)と名付けています。臨済宗といいますが、もとは仏心宗といいました。善勝寺だより
 みなひとりひとり仏心をもって生まれてきている、この仏心の貴さに目ざめることににほかなりません。みな仏心をもった仏さまなのです。
 ただ便利さだけ、合理化だけを求めては大切なものを見失ってしまいます。時にはゆっくりお茶をいただく、手間を惜しまずに料理をしてゆっくり噛んでいただく。座禅してゆっくり呼吸する、生きている、いのちあることをしみじみ感じて、しみじみ有り難いという気持ちを持つことが第一であります。

私たち人も草も木も鳥もみな仏心をもっている、この仏心の貴さに目覚め、仏心を損なうことなく、生かしてゆくことが私達の大事な修行です。
 生きること、食べること、いのちをいただくことに、もう少し心をこめていただき、心をこめて、姿勢を正してひと呼吸してみては如何でしょうか。

(続く)
Copyright © Zensyouji. All Rights Reserved.