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善勝寺だより 第107号

令和元年6月25日発行
発行責任者 明見弘道
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善勝寺だより第107号

東光山ミニ法話


 『延命十句観音経』  円覚寺派管長 横田南嶺老師著

朝念観世音(ちようねんかんぜおん) 暮念観世音(ぼーねんかんぜおん)

朝に観音さまを念じ
    夕べに観音さまを念じ

朝も夕も観音さまの心、私達の本心である仏さまの心を呼び覚まして、身近な人に親切に思いやりをもって接してゆこうということです。 
 朝に夕にということは、常に念じることであります。仏法の信は、燃えさかってすぐ消えるよりも、水のようにずーっと、たえまなく継いでゆくことが大事だといわれます。「常念観世音」という言葉もございます。常に観音さまを念じることです。

 昔、中国の禅僧で華林禅師という方がいました。山中にこもって暮らした方です。
 ある役人が山の中に禅師を訪ねます。もう、かなりの高齢だというのに禅師はお一人のようですから、「禅師には侍者はいないのですか」とききます。
 禅師は私には二人の侍者がいると答えます。どこにいますかと聞くと、禅師は「大空。小空」と呼びました。
 そうすると、岩陰から二頭の虎がウォーッと声をあげて出てきました。役人がびっくりすると、禅師は、これは大事な客人だからおとなしくせよと二頭の虎に言い聞かせました。
 役人は、いったい禅師はどんな修行をして、このようなお力を身につけられましたかと聞くと、私は「常念観世音」、常に観音さまを念じているとお答えになりました。
 常に観音さまを念じるとは、常に観音さまのお心と一つ、常に慈悲の心でいることです。常に慈悲の心でいれば、どんな猛獣でもなつくことになるのでしょう。107イメージ

 この華林禅師は毎晩座禅しながら、途中座禅に疲れると山中を観音さまのお名前を唱えながら歩くという修行をされた方です。そうして常に観音さまのお心と一つになられたのです。
 明治の頃東京の白山道場を開かれた南隠老師という方がおられました。
「延命十句観音経」を大事にされた方で、座禅をするのが大変な人や、ご婦人の方には「延命十句観音経」を読むことを勧められました。
 白隠禅師も「延命十句観音経霊験記」
の最後に書いてありますが、「若(も)し人如法にこの経を真誦せんと欲せば一日心ひそかに斎戒沐浴し一室を鎖し、厚く座物を敷き端然正座して脊梁骨を竪(じゆ)起(き)し、真実に口には此の十句観音経を念誦し」とありますように、正身端座して丹田に力をこめて三昧に入ることです。
 南隠老師は、いっぺんに、座禅公案というのは無理でも、腰を立てて、呼吸を深くして、丹田に力をこめてひたすら「延命十句観音経」を読誦し、誦み続けて三昧に入るという指導をなされていました。これが白隠禅師の教えです。

(続く)



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